ショットメーカーが陥りやすい
パッティング・イップス
皮肉にも、ベルンハルト・ランガーの苦悩は、1985年のマスターズ初優勝からだった。世界屈指のショットメーカー。そのアイアンショットの切れ味と正確さは、当時、誰もが認めるものだった。
“暗黒の欧州ツアー”と呼ばれた時代があった。1980年前後の約20年間である。ランガーを含めて、セベ・バレステロス、そしてニック・ファルド、サンディ・ライル、イアン・ウーズナムたちが「欧州ツアーを活性化させるには、自分たちが世界のメジャーに勝つことだ」と一丸となった。そして彼らは、それをやり遂げた。
ランガーの苦悩はパッティングの“イップス”だった。ショットメーカーが陥りやすいイップスである。ショットが精緻だから、1ピン以内にボールをつける回数が多い。ところがその距離のパッティングを外してしまう。バーディ逃しであっても、ボギーを叩いたような気持ちにさせられる。
ランガーも同病だった。初優勝後、数年が過ぎても、ますますイップスは重病となった。当時、マスターズ直前に地元紙オーガスタクロニクルで一面すべてが、このランガーをモデルケースにして、イップス病特集が組まれたことがあった。
そして1993年マスターズ。ランガーが独特なパッティンググリップを採用し、蘇った。2度目のマスターズ優勝とともに、イップスを克服したのである。
いまランガーは、シニアツアーで活躍している。そのショットの素晴らしさとマネジメントは、色褪せない。それどころか、あれだけ悩んでいたパッティングイップスも、ない。むしろシニア入りしてからのほうが、パッティングの時の精神的余裕すら感じる。
井戸木鴻樹と仲良しで「メチャいいやつですよ(笑)」という。(文・三田村昌鳳)