現在の日本ツアーを支えているといっても過言ではない外国勢の活躍も、そのルーツをたどると男子では陳清波、女子では涂阿玉、2人の台湾出身ゴルファーにつながる。今週の月金コラムは「台湾ゴルフのDNA」と題し、台湾ゴルフの黄金時代を作り上げた陳清波と涂阿玉の話からその歴史や強さの秘密を紹介する。
「台湾ゴルフのDNAvol.1」は↓↓↓
今回は涂阿玉に伝家の宝刀『パンチショット』について語ってもらった。
日本ツアーではほとんどパンチショットで戦っていた
涂阿玉 台湾は風が強いからパンチショットが必要だったんでしょうとよく言われます。確かに強いですよ。でも日本でも強いところはあるじゃないですか。川奈など風が強くて計算が難しいホールがたくさんありますよね。それでも日本人選手でパンチショットを打つプロはいませんでしたね。
涂が放つ“風に影響されないボール”は、当時の女子ツアーでは珍しく、新鮮でもあった。
涂はパンチショットでも「4つの球」を打ち分けていた
涂阿玉 日本人だけじゃないですよ。台湾の後輩に「アナタ、パンチやったらいいよ」といっても、「アレは、アナタだから出来るので、私たちにはできない」と返ってきます。でも実はそうじゃないんです。パンチショットは力なんかじゃないんです。テクニックなんです。
涂はパンチショットでも「4つの球(高い、低い、フック、スライス)」すべて打てたという。それは彼女の力が強かったからではなく、ひたすら練習したからだ。風がまったくない日などない。だから彼女は、日本ツアーでもほとんどパンチショットで戦っていた。
涂阿玉 82年にワールドレディスで岡本さんとプレーオフして勝ったときもパンチショット。91年の輪厚で行われた日本女子オープンは台風でみんな苦労していました。でも私は関係なかった。木の下をいったからです。それで2位に5打差をつけて優勝しました。
クラブが進化したという背景もあるが、今のスウィングはワンパターンが主流だと言われる。だから涂のパンチショットも古いテクニックだと言われる。でも彼女に言わせるとそれは違う。
涂阿玉 メジャーは普段のセッティングとは違うでしょ。リンクスコースなど、どうしてもワンパターンのショットでは対応できない場面がある。そういうところで勝つためにはどうしてもテクニックが必要になってくるんです。
涂はボランティアでレッスンする時でも必ずパンチショットを教える。そしてレッスン生たちの多くはパンチショットの打ち方を勘違いしているという。
涂阿玉 みんなパンチは腕の力で打っていると思っている。でも違うんです。パンチは下半身をうんと使わないとダメ。そして少しダウンブローに打っていくんです。言葉で説明するのは難しいけど・・・
ヤニのスウィングは風の強い台湾のスウィングそのもの
実は涂は、ヤニ・ツェンにパンチショットを教えていない。しかし彼女に言わせればヤニには必要ないという。
涂阿玉 聞きにくれば私、教えますよ。でもヤニは私にパンチショットを聞いてこない。彼女、そんなことしなくても勝てるからね。というより風の強い台湾で育った中で、自然に「風に負けない強いショット」を身に付けているんだと思う。
涂阿玉とヤニ・ツェン。台湾が生んだ2人の名プレーヤーはお互いの実力を認め、尊敬し合う間柄なのだ。話を進めていくうちに、代々受け継がれている台湾ゴルフの強さの理由が少しずつ見えてきた・・・
「台湾ゴルフのDNA」 ( vol.2)
※チョイス No.119より
「台湾ゴルフのDNA vol.3」では、涂阿玉がヤニ・ツェンから受けた相談についてご紹介します。