医師からの「余命12カ月」の宣告
「余命12カ月」
医師から過酷な現実を突きつけられたとき、デイの胸に去来したのは、彼が12歳のとき胃がんでこの世去った父のことだった。ゴルフの手ほどきをしてくれた父を失った、あのときの悲しみは今も心の真ん中を貫いている。
「言い訳をしにきたとか、そういうことじゃないんです。(腰痛でたびたび試合を途中棄権したが今回は)腰の具合は悪くありません。100パーセント健康です。すべてうまくいっている。ただ…」と言いながら、会見場で突っ伏したデイ。
言葉が続かない。堪えても溢れ出る涙。瞳を閉じ嗚咽が漏れそうな口を押さえ込む。そして彼は「話すのがとても辛い」と絞り出した。
デル・マッチプレーの優勝候補であるという自覚は本人にもあった。本気で優勝を目指すつもりだった。だが大会初日の予選第1マッチ、パット・ペレスとの対戦で6ホールを消化し3ダウンを喫したところで、デイの中で何かが音を立てて切れてしまった。コースに背を向け同伴プレーヤーに理由も語らず「コンシード(オーケー)」するという意思表示を行った。結果はペレスの不戦勝。
途中棄権し、末期癌の母の元へ
職場放棄ともとれる行動に出た理由。それは最愛の母の病だった。オーストラリアに暮らす母デニングさんは今年のはじめ肺がんと診断され、余命12カ月を宣告された。その後母をオーストラリアから現在デイが居を構えるアメリカに呼び寄せ、他の医療機関で再度診察と検察を行った結果、マッチプレーの3日目(現地時間24日)に手術を受けることが決まった。
母のガンが発覚して以来「正直ゴルフにまったく身が入らなかった」とデイは打ち明ける。早くに父を亡くし、女手ひとつで息子を育て上げたデニングさん。母がフィリピン出身だったため、差別やいじめを受けたこともあった。一時は道を外れ、グレかけた時期も。しかしデニングさんが息子のために全財産を投げ打ち、ゴルフアカデミーのある全寮制の高校に入学させてくれたことで更生の道を歩み始めたデイは、母に恩返したい一心で切磋琢磨。世界ランク1位にまで上り詰めた。
「母は僕がゴルフをする理由のすべてなんです」。母のため、家族のため……ここまで走り続けてきたのはそれがすべて。そして今、試合を棄権してまで肺がんと闘う母のそばに寄り添いたいと願ったのだ。
「家族が一番。今は辛い時期だけれどそれだけは確かな事実です」
会見場を後にしたデイの傍らには妻エリーさんが寄り添った。2人はかたい抱擁を交わしたあと手をつなぎながら駐車場へと静かに去っていった。
カムバックはいつになるのか
思えばデイは2013年11月、母の母国フィリピンを襲った史上例を見ない猛烈な台風ハイエンによって、祖母と親族を亡くす辛い経験をしている。だがその直後に行われたワールドカップ(豪ロイヤルメルボルン開催)では、アダム・スコットとペアを組み、個人&チーム両部門で優勝を飾る快挙を達成。悲しみを乗り越え掴んだ勝利は、地元のゴルフファンに深い感動をもたらした。
今回の涙の会見で人間臭さをさらけ出したデイが「一番好きな大会」というマスターズに出場するかどうかはデイングさんの手術の結果を見てから。しかし“強き母”は息子の活躍を望んでいるに違いない。デイが今後どんなストーリーを紡いでいくのか、温かい目で見守りたい。