25年間ゴルフ生活を共にしたキャディとの別れ
プロデビューから25年、ミケルソンのバッグを担ぎ続けてきたボーンズ(愛称)ことジム・マッケイ氏。2人は全米オープン明けの月曜日にマスコミ各社にコメントを出し「選手-キャディの関係を解消する」ことを発表した。
ミケルソンの横にはこれまで、分身のように寄り添うボーンズの姿があった。本来なら全米オープンがコンビでの最後の戦いになったのだが、欠場が決まりラストランはすでに終了しているフェデックスセントジュードクラシックと相成った。
「25年に渡った意義深く思い出深い日々を経て、ボーンズと私は選手-キャディの関係に終止符を打つ決意をしました。きっかけになる出来事があったわけではありません。2人ともこのタイミングで環境を変えるのがベストだと感じたのです」とミケルソン。
喧嘩別れや一方的な解雇ではなく、お互いを尊重し合った上での別離であることを強調し「友情は永遠」と家族ぐるみの付き合いは継続するつもりだという。
2人の出会いは1992年。それ以前フレッド・カプルスやラリー・マイズのバッグを担いでいたマッケイ氏が、人を介してアリゾナ州立大在学中のミケルソンのバッグを、全米オープン予選で担ぐことになったのがなれそめ。
「NCAA(全米大学体育協会)ですごく活躍していたけれど、彼のことはまったく知らなかった。事前に5分くらい電話で話して、“じゃあ(本番の)ティで”といわれたんだ」(マッケイ氏)。
練習ラウンドなしのぶっつけ本番。だがそこでミケルソンは驚くべきポテンシャルを見せつける。「信じられない体験だった。2ラウンド目(36ホール決戦)はコースレコード(62)をマークしたからね。80人くらいが出場して16位までに入れば本戦出場。もちろんペブルビーチ(全米オープン)への切符を手にいれたよ」
最初は左利き用のクラブを拭くという単純な作業が「こんなに難しいとは思わなかった」そうだが、以来2人は確かな信頼関係を築き上げメジャー5勝を含むツアー通算41勝を挙げてきた。たった1度マッケイがバッグを担がずミケルソンが優勝したことがある。それはプロ転向前、ノーザンテレコムオープンで1勝を挙げたときだった。
今後ミケルソンのキャディは元アリゾナ州立大ゴルフ部コーチで、現在スペイン出身のPGAツアープレーヤー、ホン・ラームのマネージメントを行っている実弟のティム氏が務めることが決まっている。
マッケイ氏の今後は未定だが、ラームを含む若手有望株のバッグを担ぐのではないか、との憶測が飛び交っている。
「ボーンズほど知識が豊富で有能なキャディはいない。次に彼とタッグを組む選手はラッキーだ」とミケルソン。それほど優秀なキャディとなぜ別れるの? という疑問も湧くが、その理由はもしかしたら今回も“ファミリーファースト”な事情かもしれない。