2017年7月。小さい頃から夢見た全米女子オープン最後の舞台に宮里藍が立っている。深いラフ、狭いフェアウェイ、堅いグリーン。メジャーのなかのメジャーへの思いをかき立てた原点とは?

メジャーへの思いとは…? ジュニアのときに感じたアメリカのゴルフ

藍は中学の頃、ジュニアの全国大会進出をかけた九州予選で敗退したことがある。兄たちが出場している憧れの大会に出られず落ち込む彼女に父・優氏はこういった。

「日本がダメならアメリカがあるさ!」。そして実際米サンディエゴで開催される世界ジュニアへ参戦を決めたのだ。

父と娘の旅はまさに珍道中と呼ぶに相応しいものだった。空港に到着しホテルを目指すが、同じ系列のホテルが何件もありどこへ行けば良いのかわからない。バスに乗ったはいいが、周囲は屈強な黒人男性ばかり。父は藍に「いつでも逃げられる準備をしておけ」と耳打ちしたという。

無事目的のホテルに泊まることはできたが、カルチャーショックで藍は一時「しゃべれなくなった」と失語症に似た症状に陥った。

画像: 米ツアー初参戦の年も父・優氏が見守っていた(写真:2005年全米女子オープン、撮影:岡沢裕行)

米ツアー初参戦の年も父・優氏が見守っていた(写真:2005年全米女子オープン、撮影:岡沢裕行)

それでもジュニアたちが青々とした芝生の上から当たり前のように球を打つ抜群の環境に大興奮。自分より小さな少女が背丈ほどもあるパターで、下りのラインを絶妙なタッチでカップの手前で止めてみせる技に唖然とし、世界の広さを実感した。

誰もが自分より上手そうに見えたが、結果は予想以上の8位入賞と上々だった。表彰式の場所と時間がわからなかった藍のために、特別に個別の表彰をしてもらったのも思い出深い。

そして何よりスコアラーの女性が「ナイスプレーだったわ」とやさしく声をかけてくれたのがうれしかった。

「いつかここ(アメリカ)でプレーしたい」。これが藍の原点だ。「高校を卒業したらアメリカの学校に行きたい」と思ったのも中学のとき初めて見たあのときの光景が忘れられなかったから。

画像: 今シーズンで引退を表明した宮里。今後はどのような活躍を見せてくれるのだろうか?(写真:2017年サントリーレディス、撮影:姉崎正)

今シーズンで引退を表明した宮里。今後はどのような活躍を見せてくれるのだろうか?(写真:2017年サントリーレディス、撮影:姉崎正)

アマチュアでプロの試合に勝つという、本人も予想しなかった展開で進路はアメリカから史上初の高校生プロへと変わったが、デビュー当時からずっと米ツアー挑戦は頭の片隅にあった。だからいまこうして藍が全米女子オープンの舞台に立っているのは“必然”なのだ。

ちなみに親娘の珍道中だが、アメリカ滞在中一度も家族に連絡を取らなかったため「2人に何かあったのでは?」と沖縄で母と兄たちが気を揉んでいたのだとか。そんなこととはつゆ知らず、藍は秘かに将来の夢をふくらませていた。

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