RBCヘリテイジで米ツアー初優勝を果たした小平智
「朝起きて(日本の皆は)びっくりすると思います。これから携帯が鳴るのが怖いです(苦笑)」と記者会見で喜びと戸惑いが混ざった表情を浮かべた小平。
マスターズ直後の大会で初日2オーバー73を叩き82位タイと出遅れたとき誰がこの結果を予想しただろうか?
2日目にコースレコードに迫る63で盛り返し最終日は首位と6打差の12位タイからのスタート。風が吹く難コンディションのなか前半からバーディを量産し5アンダー66でホールアウトするとバック9は上位がバタバタとスコアを落とす展開となる。
最後は韓国のキム・シウがバーディパットを外し通算12アンダーで並んだ2人がプレーオフへ。サドンデス3ホール目で7メートルのバーディパットをシウより先にねじ込んだ小平が栄冠に輝いた。
昨シーズンは最後まで賞金王争いに加わりながら最後の最後で宮里優作にタイトルを譲り、年末の世界ランクでは宮里がトップ50に滑り込み、小平が弾き出されマスターズ出場権を得ることはできなかった。
それでも腐らず年明けから世界各地で挑戦を続けトップ50入りを決め憧れの舞台に初挑戦した。日本勢が振るわないなか28位タイと健闘。大舞台でも入れ込み過ぎず自分のペースで淡々とプレーする姿が印象的だった。
アマチュア時代からナショナルチームに召集され海外での試合を経験したことで米ツアーへの憧れは人一倍強かった。むしろ「自分は海外が合っている」と思っていた。だが現実は甘くない。なかなか結果が出ないなかツアーの先輩から「お前のショットがあれば、俺なら何勝もしているのにな」と欠点=パッティングを指摘された。
コツコツと弱点を克服することで次第に実力が開花。13年の日本ゴルフツアー選手権で初優勝を飾ると米ツアーのQスクール(プロテスト)も受験した。だがそのときは出場権を得ることはできなかった。
近年PGAツアーの規定が変わり直接PGAツアー出場資格を取ることができなくなった。まず下部ツアーでの出場権を獲得し、そこで上位に入って入れ替え戦でレギュラーに昇格するしかなく、少なくとも1年以上の下積みが必要。
だがヘリテイジの優勝で小平には一足飛びで向こう2年間のツアーフル参戦権が与えられた。そのなかにはもちろんマスターズやザ・プレーヤーズ選手権の出場権が含まれている。
「実感があるのかないのかわかりません。頭のなかが真っ白でなにも考えられない。これまでの優勝で一番頭が真っ白です(笑)」。まるで雲の上を歩いているような気分だろう。
愛妻・古閑美保(熊本出身)は熊本地震から2年目となるKKT杯バンテリンレディスオープンでテレビ解説をするため、マスターズには同行したが直後に帰国しヘリテイジの会場にはいなかった。
だが今回の優勝は古閑が“持っている”からではないかと思えてならない。中学時代から彼女の取材をしてきたが、そのころ無邪気に語っていた夢をすべて叶えてきた強運の人だからだ。
「優勝したい」「賞金女王になりたい」「テレビのコマーシャルに出たい!」
14歳のときインタビューしたホテルの一室で熊本なまり丸出しで嬉々として語っていた古閑を思い出す。彼女はそれを夢物語にするのではなくすべて現実にしてきた。そんな選手は滅多にいない。
彼女の運気は結婚相手の小平にも伝わり、思いもよらない結果を生む原動力になったのではないだろうか。
“持っている妻”を持つ小平にはこれから世界を舞台に松山英樹とのツートップで日本のゴルフ界を牽引してもらいたい。
写真/姉崎正