松坂大輔
横浜高3年時にエースとして甲子園春夏連覇。球速150km/hの大台を突破し、夏の決勝でノーヒットノーランを達成するなど超高校級の活躍で「平成の怪物」と称された。現在はアマチュア日本一を目指すべく、国内ツアーに参加するなどゴルフ界で精力的に活動している。
上重聡
PL学園時代にはエースとして春夏連続甲子園に出場、夏はベスト8の成績を収める。現在は日テレから独立しフリーアナウンサーとして活動する傍ら、同世代の松坂大輔とともにゴルフに励む。2024年5月3日に成田ゴルフ倶楽部(172Y・パー3)にて人生初のホールインワンを達成。
二人の戦いの舞台はフェアウェイへ
夏の甲子園がまだ始まる前の7月末、上重と松坂は二人とも太子カントリークラブ(大阪府)にいた。河内郡太子町にあるコースで、富田林市のPL学園からほど近い。「負けるつもりはありません」と上重、「暑さ? これくらいじゃあ全然」と松坂。元高校球児の気力と体力はケタ違いだ、特に夏は。
横浜高校とPL学園高校の随一の名勝負といえば1998年8月20日。9回を終えて5対5のまま延長に突入、当時はまだタイブレークのシステムはなかった。11回表に横浜高校がエラー絡みで1点を奪ったが、裏にPLはヒット2本で1点。16回表、横浜は内野安打などで1アウト満塁。1点も許せないPLは思い切った前進守備。スクイズがありそうな場面だったが投手・上重はキャッチャーに「スクイズを察知したら目で合図をするから」と言って勝負。バウンドの高い内野ゴロで1点入り、横浜が延長で2回目の勝ち越し。「終わった」と誰もが思った裏の攻撃でPLはヒットとエラーで1アウト3塁。すると内野ゴロの間に1点が入り同点。流れが横浜とPLを行ったり来たりした。結果はご存じの方が多いだろう。延長17回の表に横浜が2ランホームランで2点。PLはマウンドに仁王立ちする松坂の前に惜敗。松坂のその日の投球数は250だった。
負けたPLの選手のなかには号泣する者もいたが上重は「自分がやってきたことを全部出せた」と泣かなかった。「試合で負けたことに泣いている人はいなかった。多分自分のプレーに悔いが残ったのでは」と当時の上重は語っている。
大阪オープンはプロやアマチュア、男・女とも同じ舞台で戦う試合。松坂が上重のひとつ前の組でスタートすると、いきなりキャディが「フォアー」と叫ぶ。344ヤードのパー4、松坂は周囲の期待に応え、ドライバーを持ったのだが、慣れない白ティーからの景色に惑わされてOBを叩きボギー発進。すると、次の組で上重はアイアンでティーショット。うまく刻んだ。グリーンとティーインググラウンドで接近すると松坂が何やら両手でポーズを作り、上重にアピールした。ちょっとした仕草で周囲の人は気付かないのだが、上重は「あれは『俺がドライバーで攻めたのに、なんでアイアン? もっと攻めろよ』という意味ですね」と説明する。二人は会話をしなくても何でも伝わる仲なのだ。
26年前、「スクイズを察知したら目で合図をするから」とキャッチャーに言ってポカンとされた上重だが、実際のところ、PLの元エースと横浜の元エースは目と目で会話ができるらしい。
大阪オープンは、松坂が38・33の71、上重は47・43の90で松坂に軍配。しかし、試合後の表彰式で上重が“飛び入り”で舞台に上がると、今度は上重がその場を制した。アドリブを交えながらの司会進行は、さすがアナウンサー歴20年余りのプロの仕事。「今日は(松坂に)19打差つけられちゃいました」と話すと参加者が沸く。26年前に甲子園で日本中の視線を釘付けにした二人が、2024年の夏、またみんなの視線を独占している。
PHOTO/Hiroyuki Okazawa
THANKS/大阪オープン
※週刊ゴルフダイジェスト2024年9月24日号から一部抜粋
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