「練習ラウンドを9ホール回ったけど知らない顔がたくさんだったよ(笑)」と柔和な笑顔を見せカプルス。カプルスは知らなくても相手はもちろん彼を知っている。
若手にとっても憧れの超レジェンドは今回、3年前から試合に出て欲しいとラブコールを送っていたトーナメントプロモーター、ジェフ・サンダースの要請に応え出場を決めた。
初日はあいにくパターが決まらず1オーバー73と出遅れたが息子ほど歳が離れた“キッズ”たちと並んでも遜色のない溌剌とした立ち姿。スウィングも“ブンブン”と呼ばれた若い頃と変わらぬやわらかさ、淀みなさ、力強さは健在だ。
まだ駆け出しの記者だったころ「これを訊いてこい」というメモを渡されインタビューに出向いたことを思い出す。カプルスは当時30代半ば。どんな質問にもイヤな顔をせずにこやかに対応してくれた。
メモにあった「最近もテニスをしていますか?」という質問を投げかけると「前の妻とはよくやったんだけどね。最近はあまりやっていないなぁ」という答え。勉強不足で離婚のことを知らず恥じ入る思いでいっぱいだった。
どうやらメモを渡した人物はそれで離婚についてなんらかのゴシップ的な答えを引き出せればと思ったのだろう。その片棒を担いだ自分に腹が立った。
本業ではマスターズ(92年)を含むツアー通算15勝のカプルスにもしケガ(腰痛)がなければきっとあといくつもメジャーに勝っていたに違いない。
イージーゴーイングで神経質なところがまったくない。クラブの長さを聞かれるといまどきなら細かく.25インチ単位で答えが返ってくるが、カプルスは両腕を広げて「これくらい」を真顔で答え相手を驚かせたエピソードがある。
ゴルフには還暦のいまでも子供のような熱い情熱を傾け、同僚プロには年上にも年下にも慕われる。とにかく「一緒にいて楽しい存在」(ブラント・スネデカー)なのだ。
ところがこんなに“いい人”なのに2度の結婚は悲劇的なものだった。ヒューストン大学で知り合いテニスプレーヤーだったデボラさんとは12年連れ添ったが93年に離婚。その後2001年に自らの命を絶っている。
離婚から5年後2人の子供を持つタイス・ベーカーと再婚したが09年に彼女が乳がんで他界。そのとき上の子は18歳、下の子は16歳。カプルスは血の繋がっていない子供たちのシングルファーザーになった。
現在はプレジデンツカップなどの国際大会に同伴するガールフレンドがおり幸せそうなのが救い。
笑顔の裏の悲劇が一層彼を強くそしてやさしくしたのかもしれない。