21年の西郷真央選手はタイも含めて2位が7回と、のどから手が出るほどつかみたい初優勝が遠いシーズンでした。しかし、22年の開幕戦で初優勝を飾ると出場2試合目を2位タイ、4、5試合目を2週連続優勝、6試合目で2位タイ、7試合目で優勝、2戦連続予選落ちのあと10試合目で優勝と怒涛の勝利を挙げていました。しかし、4勝目を挙げた「パナソニックオープンレディース」の前2試合は重度の寝違えによる首痛で欠場していました。復帰戦で5勝目を飾りましたが、重い寝違えを経験したことでスウィングに負担をかけているという不安をぬぐえなかったと最終戦のリコーカップを終えた会見で話しました。
そのころから負担の少ないスウィングを模索しながら、シーズンを戦ってきましたが、9月末の日本女子オープンのころからドライバーを曲げると以降のホールでは3Wでティーショットする姿が見られていました。それでも高い技術のアイアンショットで上位に食い込むこともありましたが、最終戦のリコーカップでは3Wのティーショットでも林に打ち込むようになりスコアメイクに苦労していました。
画像Aは、5月の「サロンパスカップ」(左)と9月の予選落ちに終わった「日本女子オープン」(右)。トップから切り返した直後の画像で比較してみました。シーズンを通して可能な限りの試合の画像を見比べてみたのですが、好調だった前半戦では切り返しで下半身から始動し、手元や上体はまだ残っているように見えるのですが、後半戦は上体が下りて来るのが明らかに早くなってしまっていました。そのため下りて来る軌道やフェース向きにずれが生じ、本来フェードヒッターの西郷選手がフックする弾道の逆球に悩まされるようになり、それを嫌がって右へのプッシュアウトと両方向のミスが出るようになっていました。
「フックの要因を消したい。意識してフェードに、とスウィングを直してから、少しづつどっちのミスも出るようになっていました」とリコーカップの最終日を終えた囲み会見で話してくれました。2日目以降は何かをつかもうと様々なことにチャレンジしながらプレーしていたようですが、つかむことはできなかったといいます。
ツアー会場の練習場で、スマホで動画を撮り確認しながら練習する姿や様々なドライバーをテストする姿も見ていましたが、最終戦でもきっかけはつかめなかったようです。しかし、本来は話したくもないはずのラウンド後の会見でもしっかりと自分の言葉で丁寧に話す姿に、21歳とは思えない冷静で芯の強さを感じましたしオフにしっかり調整してくることは間違いないでしょう。
その強さを表すエピソードを一つ紹介します。前半戦で5勝した西郷選手ですが、優勝した5試合ともキャディは違っていました。それは自分で考え自分で決断しキャディやコーチに依存しすぎることなく自立していることを表しています。
『ブリヂストンレディス』でキャディを務め、優勝に導いた「ジョンさん」こと後藤勝キャディいわく、「西郷選手自身が考えつくしたゴルフのゲームをしているということ。だから僕らはいかに気持ちよくショットができるか。タイミングしかり、いい環境を与えられるかにベストを尽くすだけなんです」(後藤勝キャディ)
オフは師事するジャンボさんの練習場から始動するとのことなので、来シーズンも開幕から注目すべき選手として戻ってくることでしょう。