2022年、アマチュアゴルフの歴史を塗り替えた男、蟬川泰果。その勢いのままプロデビューを果たした22歳(1/11誕生日)は、2023年、米ツアーからスタートを切った。渡米前、束の間の“地元時間”をすごす蟬川泰果に、現在、過去、未来の自分像を聞いた。 
画像: 短いオフは、取材にイベントにと引っ張りだこで、好きなお笑い番組も見られない忙しさだったという蝉川

短いオフは、取材にイベントにと引っ張りだこで、好きなお笑い番組も見られない忙しさだったという蝉川

怒涛の2022年だった。6月のABEMAツアー「ジャパンクリエイトチャレンジin雷山」で初優勝。9月の「パナソニックオープン」で優勝し、10月5日には世界アマチュアランク1位に上り詰めた。そして10月の「日本オープン」では、95年ぶりのアマチュア優勝を果たし、11月のマイナビABCでプロデビューした。プロ入り後4試合は、28位タイ、8位、39位タイ、8位タイの戦績。

「今考えると(昨年は)できすぎ。でも、プロとして1勝したかった」

これらの結果について、

「今考えるとできすぎだと思います。でも、プロとして1勝したかった。悔しい試合があったので。勝てないときが続きすぎると、やっぱり負け癖がついてくるので、早めに結果を残していかないと、というのは今すごく考えています」。 

蟬川泰果は自分にプレッシャーをかけ、それを力にできる男だ。以前は、「ただ勝てればいい」と思っていたのだという。

「今も試合前はいつも恐怖心が出てきます。でも始まっちゃうとそれが解き放たれるんです。ギャラリーはビビッてる姿を見に来てるんじゃないし、プロとしてすごいというショットを求められている。せっかくお金を払って見に来てくれたのに。魅せることも大事。そう考え始めてから、勝てました」 

ギャラリーの歓声を力にできるところも蟬川泰果の強さだ。

「やっぱり、72ホールでギャラリーの方が覚えてるプレーって1つ、2つ、3つくらい。そのインパクトに残るショットを打てればいいですよね。日本オープンの(最終日・9番)トリプルボギーも印象に残ったでしょう(笑)」 

ちなみに、ガッツポーズも自然と出てくるタイプだという。

「考えてやろうとすると恥ずかしいですよ。日本オープンの最後のパーパットは2m手前から入るのがわかったから“よっしゃー”ってなったんです」 

蟬川泰果はよく、プロゴルファーを自分の「仕事」と表現する。

「プロになって、少し気持ちが変わっていました。イケイケがちょっとなくなっていました。でも今年からはイケイケでいきますよ。うちの父もイケイケなんで(笑)。でも、きちんと腰は据えながらのイケイケでいきます」

と、意外な堅実ぶりも見え隠れするのだ。 

短いオフは、取材にイベントにと引っ張りだこで、好きなお笑い番組も見られない忙しさ。

「でも、それでも勝たないといけない仕事なので」 

仕事として、自分のゴルフを見つめられるバランス感覚も蟬川の武器かもしれない。 

サービス精神も旺盛だ。

画像: 昨年12月、JGAの慰労会で、馬場咲希(左手前)やガレス・ジョーンズヘッドコーチ、中島啓太(右)らナショナルチームのメンバーと"写メ"を撮る蝉川

昨年12月、JGAの慰労会で、馬場咲希(左手前)やガレス・ジョーンズヘッドコーチ、中島啓太(右)らナショナルチームのメンバーと"写メ"を撮る蝉川

「おもろいことは、会話中に唐突に思いつくんです。メディアさんが求めているものがわかるから。たとえば、(中島)啓太と“バチバチやりたい”っていうだけで喜んでもらえるでしょう。でもこれ、関西人だからですよ」 

どうして、プロとしての自覚なのだろう。

1歳の頃には、父・佳明さんから与えられたおもちゃのクラブを振っていた蟬川泰果。大丸デパートのゴルフ売り場は“託児所”だったという。

「覚えています。シミュレーションゴルフがあった。まだジュニア料金が発足して間もないときだったし、あまりゴルフ場に行く機会もなくて、そこでいろんな試打クラブを打ちながらゴルフできるのがすごく楽しいと思っていました。あの頃の気持ちが今また湧き上がってきているんです」 

タイガー・ウッズ由来の名前はもちろん、数字の1が4つも入る誕生日(2001年1月11日)に、「スター」になる運命を感じる。しかし、ゴルフをやめたいと思ったことは何度もある。

「特に高校はきつかった。自分もそこまで精神的に大人じゃなかったし、結果を求められているプレッシャー感に堪えられなかった」 

高校卒業後、プロ入りしたいと思ったが、ゆらいでもいた。

「プロの世界は甘くないし、普通に働くほうがいいのかな」

「プロの世界は甘くないし、男子の人気も落ち気味で稼げる人はひと握り。普通に働くほうがいいのかなって。でも、台風のなか東北福祉大の梶井コーチが試合に来てくださって、どうしても来てほしいって。すごく熱意を感じたんです。それで行こうと決めました」 

しかし、大学でも葛藤は続く。

「1年のとき、日本アマ、日本学生、朝日杯、すべてトップと1打差で出た最終日に崩して。思うように結果が出てくれない。ゴルフはメンタルが弱かったらできない。本当にダメかと思ったんです」 

しかし、ここで終わらないのが“雑草魂”蟬川泰果だ。プツンと吹っ切れたのは3年の春のリーグ戦。

「団体戦でも引っ張っていくべき役目なのに、ボヤボヤした結果だったとき、運転してくれていたコーチに『情けねえな』と言われた。

『絶対に目を覚ます、やったろー!』と。次の週、関西アマで優勝。大学で初めての優勝です」 

それでも一昨年の冬頃はまだ、ゆらいでいた。自分はプロで通用しないかもしれないと。円形脱毛症にもなった。

「(中島)啓太や金谷(拓実)さんと比較するとなかなか注目してもらえない辛さや、勝てない悔しさがあった。でも這いあがって、ド根性精神でここまできました」

気持ちからゴルフを作るという蟬川泰果。乗ったら止まらないことは自覚もしている。「でも、もっと自分でそこに持っていけるように勉強しないといけないと思っています」 

一昨年の12月に入ったナショナルチームで、ヘッドコーチのガレス・ジョーンズ氏にはマネジメントを、メンタルコーチの菅生貴之氏には考え方を学んだ。

「ジョーンズさんから世界アマでいろいろな攻め方を教えていただきましたが、ドライバーをガンガン振っていくスタイルはどうなのかなと思っていた時期でもあった。でもドライバーを選択することをまず第一として考えること、ドライバーに自信がなければ下の番手を選ぶことを教わりました。また、僕はすごく怒りやすいタイプだった。心にいろいろなマインドを入れる部屋を作るのが大事だと。1、2アンダーどまりの伸ばせない選手は、1ピン近づけて狙ってもいいんじゃないかとも。『ああ、いいんや』と思えました」 

蟬川の積極性は、こうして引き出されて武器になった。

「コーチは付けようとは思っています。それも投資なんですけど、もう少し自分が軌道に乗って、それなりに貯蓄できてから考えます。生活もかかっているので。いろんな人に頼る選択肢もあるかなと」 

やはり、ただのイケイケではない。多くのものを素直に貪欲に吸収してきた。

「青木翔コーチには、レイドオフとかGGスウィングとか主流のものではなく、自分ベースに寄ったスウィングを作らせてもらった。アプローチもすごく習いました。父にはクラブのライ角のことや、試合中にアジャストできる能力を。今もいろんなポイントで教えてくれる。普段の状態を知っているからこそ、ちょっとここが動きすぎかなとか、そのへんの歯止めを効かせてくれるのは父です」 

家族とはとても仲がいい。

「僕、こんなにゴルフをさせてもらってわがままですよね。よく付き合ってくれたなと思います。最近、父に性格が寄ってきた。僕が前に出ないといけない仕事をするようになったから、父の気持ちがわかってきたのかも。『目立たんといてくれ』って思ってたんですけどね(笑)」。そうして守ってくれたこと、今も後ろで見守ってくれていることに感謝している。 

ゴルフ部のキャプテンに選ばれたのも成長の糧となった。「責任感が出ましたし、最初は人前に出ても全然しゃべれんかったけど、気づいたら好きに(笑)」

「それなりに楽しんだ」大学を、この春、卒業する。キャプテン恒例の「白袴」が似合いそうだ。(蝉川泰果インタビュー・後編に続く)

※週刊ゴルフダイジェスト2023年1月24日号インタビュー「蝉川泰果~"魅せて勝つ"」より

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