地元オーガスタ出身者の優勝に街は歓喜に包まれた
オーガスタ生まれのラリー・マイズ。ジョージア工科大に進学し1981年にツアープロになり、初めてマスターズに出場したのは1984年で11位タイ。
1985年47位タイ、1986年16位タイという成績。「上位に入っても、優勝には手が届かない」と言われ、地味な外観からもあまり目立たない選手でもあった。
1987年大会は、3日目を終えてセベ・バレステロスと同スコアだった。だが、2打差にベン・クレンショー、さらに1打差にはグレッグ・ノーマンがいたため「優勝は難しい」と決めつけられてしまう。
ところが最終日、ラリー・マイズは粘り強くプレーを続け、バレステロス、ノーマンとの3人のプレーオフに食い込んだ。
プレーオフ、最初の10番でバレステロスがボギーで脱落。続くアーメンコーナーが始まる11番ではノーマンが2オンに成功し余裕の表情を浮かべる。
いっぽうラリー・マイズの3打目は、グリーンの右から残り42ヤードの距離。グリーンが奥の池に向かって傾斜しており、誰もが寄せることはできないと思って見ていた。
素振りを3回繰り返し、方向を確認してSWから打たれたアプローチは、グリーン傾斜のラインに乗ってピンに向かって転がり続けて、見事チップインのバーディ。
ラリー・マイズはクラブを放り上げてジャンプし、両手を突き上げて喜びを爆発させた。
オーガスタでの40年間は、言葉では言い表せない
「ここで勝つことができ、40年もの間プレーできたことは言葉では言い表せない」と、土曜日に順延となった予選ラウンドの残りをプレー後に会見したラリー・マイズ。
「リーダーボードを見て、50年前のことを思い出しました」。マスターズの期間中、地元の学生はオーガスタナショナルGCでボランティアをする。
ラリー・マイズも、14歳のときにスコアボードの数字を入れ替えるボランティアをした経験があった。
「マスターズの優勝で人として変わったとは思わないが、勝ったことで色々なチャンスをもらった。言葉にするのは難しいが、ここで勝てたのはとてつもない幸運だった。間違いなく私の人生を変えた」
最後に予選通過をしたのは2017年。6年ぶりの決勝ラウンドとはならなかったが「ベストを尽くした、素晴らしい2日間だった。週末は家族や孫と、ここで一緒に楽しみます」と最後のマスターズを締めくくった。