“ムツゴロウ”こと畑正憲さんが泉下の客となった。ムツゴロウさんの後半生を彩ったのは、ゴルフだったことは意外と知られていない。ゴルフと出会うきっかけ、その後のプレーぶりを振り返った。

最初にクラブを握ったのは55歳

画像: ムツゴロウさん、60代の頃

ムツゴロウさん、60代の頃

ムツゴロウさんがクラブを握ったのは55歳のとき。きっかけはテレビ番組を持っていたフジテレビの社長に勧められたこと。当時から、「ムツゴロウカップ」というゴルフコンペを開催していたのに、「ホスト本人がプレーしないのはおかしいでしょ」と口説かれたのがきっかけ。

それから一人娘の婿、津山剛さんに声をかけて一緒にゴルフをスタートさせた。クラブを新調して、2人で練習場に通い、やがて2人でコースに出るようになった。

北の国のコースは、時間帯を選べばほとんど貸し切り状態だった。その時の心境を畑は、「初夏、北の緑には霊気がこもっていて、緑のイオンが溶け出し、そこらじゅうが踊っている感じがする」

「(行きつけだった北の国のコースのひとつの)アウトの8番で急に眺望が開け、知床連山が紫色にけむっている。美しいと思う、幸せだと思う。2人にとって特別な時間だ」と綴った。

その後、ムツゴロウさんは病床に伏せてしまう。五十肩で失神するほどの痛みが襲っても、ボロボロになった歯を食いしばってプレーを続けた。愛馬に右足を踏まれ足の小指を骨折するも、テーピングして裸足でプレーを敢行。「これぞ正真正銘のスパイクレス」とおどけてみせた。

画像: 50代後半、ゴルフを始めて3年目の頃

50代後半、ゴルフを始めて3年目の頃

ライオンに指先を嚙み切られてもゴルフをした

ライオンに右手中指の先を嚙み切られたときも、1ヵ月後にはゴルフを再開した。痺れるほどの痛ささで、特にバンカーではインパクトの手前でクラブが止まってしまう。振り切れなくなり、その日はスコアが100を超えた。

夜型だった非人間的な生活を改善してくれたのがゴルフで、純子夫人から還暦のお祝いに自宅近くのゴルフ場の会員権も贈られている。取材で訪れる世界各国へもクラブを携行した。

ゴルフへの熱中ぶりは、週刊ゴルフダイジェスト誌で連載をするまでになった。1993年4月6日号から1年間、『ムツゴロウのゴルフに夢中雲の中』、2006年にはエッセイ『畑正憲のムツゴルフ』を6回短期連載。単発でも年1回は登場。ゴルフダイジェスト社発行のチョイス誌にもエスプリの利いたゴルフの話を披露している。

ムツゴロウさんの多くの肩書の中に“ナチュラリスト”がある。自然保護運動で、知床原生林伐採反対の急先鋒に立ったこともある。その本人が自然を改造しているゴルフをやるのはけしからんとの意見には、反論した。

「都会の真ん中に自然が残っているのはゴルフ場だけじゃないか。よく行ったブラジルのサンパウロゴルフクラブは、ビル街の中にアカシアの巨木が植わり、花が咲き乱れて、まるで桃源郷。ゴルフ場だったから自然が残ったわけだよ」

好奇心は極めて旺盛、強烈な行動力、そして生涯、弱音は一度も吐かぬ心性を持ち、どの分野でも深く傾注した異才。その波瀾万丈の人生に幕を下ろした。87歳。合掌 

※週刊ゴルフダイジェスト2023年5月2日号より(TEXT/Masanori Furukawa)

This article is a sponsored article by
''.