大倉喜七郎が伊東に60万坪の広大な土地を購入したことが始まり
父の後を継ぎ、帝国ホテル会長などを務めていた大倉財閥の二代目・大倉喜七郎。
かつて英国留学中に貴族たちが利用していたゴルフ場や乗馬、テニスコートなどを備えたスコットランド屈指のリゾート、グレンイーグルスに感銘を受け、日本にもカントリーエステートを造ろうと、伊東に牧場を造る計画で60万坪もの広大な土地を買った。
しかし、溶岩台地からなる土地は、馬の蹄を傷めてしまうため乗馬には不向きだとわかるとゴルフ場を計画。当時の日本ゴルフ界の重鎮、大谷光明に「選手権コースと、初心者用の幼稚園コースの2つの18ホールを造りたい」と依頼する。その幼稚園コースが大島コースだった。
スコットランドのリンクスのようにホール名が付けられている
まだ重機のなかった時代、人力で盛り土をして造成。東海地方初のゴルフコースとして1928年に誕生した。距離は短いが、打ち上げ、打ち下ろし、ブラインドが続く。太平洋を借景とした印象的なホールにはスコットランドのリンクスのようにホール名が付けられている。
たとえば、4番パー4は「Goodbye」。谷越えの左ドッグレッグで左サイドは断崖、引っかけるとまさに海にグッバイ。つり橋のかかった深い谷越えの6番パー3は「S・O・S」。豪快な打ち下ろしで、距離も短く1オンも可能な13番パー4は、「VENI VIDI VICI(ヴィニ・ヴィディ・ヴィキ)」。古代ローマ帝国の皇帝シーザーの故事「来たり、見たり、勝てり」に由来する。
現在はアウト、インが開場時とは逆になっているが、川奈ホテル宿泊者限定でキャディ付き歩きが基本の富士コースとは異なり、2人乗り乗用カートでのセルフ、スループレーで気楽にラウンドが楽しめるのも大島コースの魅力のひとつだ。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年5月9・16日号「ニッポンゴルフ初物語」より