6月末の国内女子ツアー、資生堂レディスオープンは神奈川県横浜市の戸塚CC西コースが舞台。井上誠一設計の同コースでは18年前に日本女子オープンが行われ、日本のゴルフ史に残る試合となっている。
画像: 8メートルのバーディパットを1メートルに寄せると、落ち着いてウィニングパットを沈めた宮里藍。大歓声のなか、右こぶしを握り締めて3,4回腕を振り上げた

8メートルのバーディパットを1メートルに寄せると、落ち着いてウィニングパットを沈めた宮里藍。大歓声のなか、右こぶしを握り締めて3,4回腕を振り上げた

宮里藍の人気ぶりは"社会現象"となった

今から20年前の2003年9月28日、18歳の高校3年生、宮里藍がミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで30年ぶり2人目のアマチュア優勝を飾った。

その優勝から10日後、母校の東北高校でプロ宣言し、現役女子高生プロが誕生。"藍ちゃんフィーバー"が巻き起こった。

翌04年の地元・沖縄での開幕戦はもちろん話題となり、最終組のスタート時間には試合会場周辺の道路が数キロにわたって渋滞するほど。そして1万2081人もが見守るなか、宮里はプロ4戦目にして初優勝を挙げた。

彼女が試合に出るだけで、どの会場にも大勢のギャラリーが詰めかけ、テレビのゴルフ中継の視聴率は2ケタを超えるなど、"藍ちゃん"は国民的ヒロインの地位を確立し、女子プロブームをけん引した。

04年に5勝、05年2月には北田瑠衣とペアを組み第1回ワールドカップ女子ゴルフに優勝。そしてシーズン3勝を挙げ迎えた秋のメジャー、日本女子オープン。前売り券がネットオークションで高値で売られ、当日券も追加発売されるなど、その人気ぶりは、もはや社会現象となっていた。

初日からトップに立った宮里は2日目から一人旅。2位に6打差をつけて迎えた最終日には、大会史上初めて2万人を超える2万1018人のギャラリーが戸塚CCに押し寄せた。そして、黒山の人だかりのなか、樋口久子の持っていた記録を塗り替え、20歳3カ月で日本女子オープン最年少優勝(当時)。節目となるツアー10勝目だったが、こちらも97年に福嶋晃子が達成した24歳3カ月を抜く最速記録。

さらに、最速での生涯獲得賞金2億円突破と、記録ずくめの優勝だった。4日間のギャラリー数は計4万8677人。この記録はいまだに破られていない。

※週刊ゴルフダイジェスト2023年6月13日号「ニッポンゴルフ初物語」より

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