ギアと動作がマッチした理想的なパワーフェードの打ち方
「普段、みんなから『すごくいいスウィングだね』って言ってもらっていたし、自分でもそのように信じていたけど、ツアーに参戦した最初の何年かは結果が上手く出ず、悩んでいました」と、クラークは優勝会見で語った。それでも自分を信じて練習を重ねていった。
「彼の持ち球はパワーフェード。反面、飛距離が出るぶん、左右への散らばりも大きいのが課題でした。それが昨年から徐々に安定し始め、以前のような『飛びすぎてトラブル』ということがなくなりました。ウェルズファーゴ選手権での初優勝後に語っていましたが『ドライバーをコントロールして、フェアウェイをとらえるショットと飛距離を出すショットを打ち分けられるようになった』そうです。
大型ヘッド全盛の現代において、ギアと動作がマッチした理想的なパワーフェードの打ち方です。ややウィーク気味のナチュラルグリップで、今流行りのシャットフェースではなく、自然なアングルでバックスウィングしていきます。
これはフェースをかぶせすぎないための工夫で、フェースがかぶって当たる左へのミスを警戒しての動き。深く捻転させた基本通りのトップから、打ち急がず下半身を沈み込ませることでダウンスウィングに移ります。
足の踏み込みや腰の回転を急激に行わず、腕がなるべく体の近くを通るよう丁寧に動いていくことで、インサイドからボールにコンタクト。常に体の正面に腕があるように回転するのでフェースがかぶらないようコントロールできるのです。
ドローヒッターとは真逆のスウィングと言ってもいいですが、彼のスウィングも現代ゴルフの理想的な動作のひとつですね」(倉本)
「プレーはアグレッシブ。そしてクラークはとても成熟した心の持ち主」(倉本)
コロラド州出身、ジュニア時代から活躍し、将来を嘱望される選手だったウィンダム・クラーク。その後、オクラホマ州立大学に進学し、1年時にオールアメリカンに選出されるなど活躍したが、その年に母親を乳がんで亡くしてしまい、学業もゴルフも低迷。生活を一新させるために、4年時にオレゴン大へ編入、そしてプロとなった。この激動の学生時代に出会った2人が、クラークに大きな力を与えたとレックス倉本は語る。
「もともと飛距離が出てパッティングも上手でしたが、ショットが安定せず、好不調の波が激しい選手でした。それが昨年くらいからショットが安定しだしていい感じになってきていましたが、今年に入ると得意のパッティングが悪くなってしまい悩んだと言います。その時にアドバイスを送ったのがリッキー・ファウラーです。オクラホマ州立大時代には、リッキーがたびたび大学に戻り後輩たちにアドバイスを送っていましたが、その時から親交があり、アーノルド・パーマー招待前に練習ラウンドを一緒に回った際に、リッキーのパターの調子が良かったことから、オデッセイの担当者に彼と同じパターをオーダーして作ってもらって、そこから上昇機運に乗りました。
今までチャンスで勝ち切れない印象が強かったクラークですが、最終日を大学の先輩のファウラーと回れたことも心に余裕を持てた一因ではないでしょうか。
そしてもう一人、キャディを務めるジョン・エリスの存在。彼は元々オレゴン州立大のコーチを務めていて、当時から何でも話せる"お兄ちゃん”的な存在でした。プロ転向した時にキャディを依頼しましたが、下部ツアーでは生計が立たないと一度は断られます。
PGAツアーに上がったことで再度アプローチしたところ、キャディを引き受けてくれました。クラークはコーチを付けておらず、彼がメンタルケアやスウィングのチェックも担うなど、キャディ以上の存在なのです」
大会前にロサンゼルスCCのメンバーである友人とともに会場のコースをラウンドしたことも、優勝につながった。
「今回、初めて閉ざされたプライベート倶楽部的存在だったロサンゼルスCCが会場になりました。いずれの選手も初見で、経験によるアドバンテージがないなか、クラークはLIVの母体とPGAツアーとの統合が発表された日、コースを熟知するメンバーとプレーする機会を得て、緊急ミーティングをキャンセルしてまでプレーしに行ったそうです。そのメンバーから攻略のイロハを教わったことも大きかったはず」
J・スピースやX・シャウフェレと同じ歳で、今年30歳を迎える遅咲きの選手だが、これからも活躍を続けていけるのか。
「試合を見ていた人は感じたと思いますが、かなりの飛ばし屋(平均315ヤードでツアー6位)で、ゴルフはすごくアグレッシブ。でも、普段は物静かな性格で、母の死やゴルフでの挫折などを乗り越えて、今はとても成熟した心の持ち主です。今年の初優勝やメジャー優勝で自信を得て今後の試合に臨めるはず。常にトップの座を争う選手になりそうです」(倉本)
※週刊ゴルフダイジェスト2023年7月11日号「ウィンダム・クラーク解体新書」より