日本人初となる翌年の出場権も獲得
全英オープンに日本人が初めて出場したのは1932年の宮本留吉。前年に浅見緑蔵、安田幸吉と3人で日本人プロとして初のアメリカ本土遠征を行ったあと、ひとりアメリカに残った宮本。「スプリングサーキット」と呼ばれるツアーでテキサスからフロリダ、そして東海岸を転戦してから5月にイギリスに渡り全英オープンに出場した。
この年の会場はサンドイッチのプリンシズGC。結果は予選落ちだったが、ここから日本人のメジャー挑戦の歴史が始まった。
全英オープンで宮本に続いたのは1956年、今年と同じロイヤルリバプールGCでの第85回大会に3人が出場し、陳清波、石井迪夫の2人が初めて予選を通過した。その後も1960年島村祐正、1970、71年に橘田規が出場するが予選落ち。
そしてロイヤルバークデールGCで開催された1976年には、出場資格を持たないプロ入り4年目の24歳、鈴木規夫がマンデー予選から挑戦。出場800名のなかから、本選出場はわずか12名という狭き門を2位で通過し見事、全英オープンへの挑戦権を獲得した。
すると鈴木の勢いは止まらない。初日に3アンダーの「69」をマークして、当時19歳のセべ・バレステロス、クリスティ・オコナーと首位タイに並び、リーダーボードのトップに名を連ねた。2日目、3日目は「75」とスコアを崩したが、最終日は「70」で結果は10位タイと、翌年の出場権も日本人として初めて獲得することに成功。地元のゴルファーに「日本のスズキはオートバイだけじゃない」と言わしめたという。
鈴木はツアー16勝を挙げ、今年でプロ生活50周年を迎えた。現役引退後はコース監修などにも関わり、現在は後進の育成に力を注いでいる。
※週刊ゴルフダイジェスト2023年7月25日号「ニッポンゴルフ初物語」より