川奈ホテルGCが、開場当時のピン、“ウィッカ―バスケット”を復元しようとしていることは以前にも紹介したが、同GCでは大島コースが開場95周年を迎えるにあたって、このウィッカーバスケットを使用したイベントを開催する。

川奈ホテルGCは、創業者の大倉喜七郎男爵が「日本初のゴルフリゾートを築こう」と、川奈地区50万坪を買収したことことから始まる。

まず、1928年(昭和3年)に大島コースを完成させた。設計は大谷光明。大谷は僧侶ながら英国留学中にゴルフを覚え、日本ゴルフ協会の創設に尽力した。その後、富士コースは造成進行中、東京GC朝霞C設計のため来日していたC・H・アリソンに設計を再依頼し、1936年に開場。

両コースとも開場以来、戦前の間に使用していたのが、ウィッカーバスケットのピンだった。この歴史について、ゴルフ史家、摂津茂和氏の著書『新ゴルフ千夜一夜』での記述を紹介する。

画像: 川奈ホテルが開場まもない頃のパンフレット。右下のTwo 18 Hole Golf Coursesの文言とともに、ウィッカーバスケット・ピンが象徴的に描かれている

川奈ホテルが開場まもない頃のパンフレット。右下のTwo 18 Hole Golf Coursesの文言とともに、ウィッカーバスケット・ピンが象徴的に描かれている

「19世紀の末頃、イギリスには風変わりな球孔用標識棒が使われた。“ウィッカーバスケット”といって、柳の細い枝で編んだ楕円形の提灯のような籠を上につけた棒である」

「布製の旗が風雨の影響により破損が早いため、もっと丈夫で長持ちし、風のないときでも旗のように垂れ下がらず、遠目が効くところから重宝がられ、スコットランドだけでなくイングランドでも広く使われるようになった」

画像: 当時の川奈ホテルGCの風景。キャディさんの手にはウィッカーバスケットのピン

当時の川奈ホテルGCの風景。キャディさんの手にはウィッカーバスケットのピン

「当時、ツバ広の婦人帽の留め針に用いたハット・ピンに似ていたので、これを省略して『ピン』と呼ぶようになった。川奈の大島コースのそれは、コースを設計した大谷光明がイギリスにゴルフ行脚したときに見て、これを作らせたのであろう」

同GCではこのウィッカーバスケットを設置したオープンコンペを12月20日に開催予定で、現在は参加者を募集中。当日、当時のニッカボッカの装いで来場したゴルファーにはプレゼントを用意、さらに6番パー3ではヒッコリークラブなどを用意してワンオンチャレンジも実施する(問い合わせは同GCへ)。

もしかすると来年のフジサンケイレディスで、このウィッカーバスケットピンが使用されるかも?

※週刊ゴルフダイジェスト2023年11月7日号より

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