国内男子ツアー「ダンロップフェニックス」最終日、4打リードの単独首位からスタートした日本大学4年の杉浦悠太が逃げ切り、通算12アンダーでツアー史上7人目のアマチュア優勝を果たした。今大会がアマとして最後の試合だった杉浦はプロ転向を即決。28日からサードQTに臨む予定だったが、その必要もなくなり、今季の残り2試合に早速プロとして出場する見込みとなった。
画像: 「ダンロップフェニックス」で7人目のアマチュア優勝を飾った杉浦悠太(撮影/有原裕晶)

「ダンロップフェニックス」で7人目のアマチュア優勝を飾った杉浦悠太(撮影/有原裕晶)

朝ごはんが食べられないくらい緊張

松山英樹、ブルックス・ケプカ、ウィンダム・クラークと3人のメジャー覇者が参戦し、大きな注目を集めた今年のフェニックスを制したのは22歳のアマチュアだった。

初日首位の松山に1打差の2位と好スタートを切った杉浦は2日目からトップを快走。

最終日の後半に入り、11番でダブルボギー、12番をボギーと苦しんだものの、今大会のテーマだったという「自信」を持ち続けて、最後まで首位の座を明け渡すことはなかった。

ラウンド中はキャディと笑顔で会話する場面も見られたが、実際は極度の緊張に襲われていた。

「最終日最終組も初めてで、朝ごはんもなかなか入っていかなくて、緊張しているつもりはないんですけど、体が勝手に緊張を伝えてくれた感じでした」

3日目の朝から緊張しっぱなしだったというが、それを感じさせない堂々のプレーぶりだった。

9月のABEMAツアーでもアマチュア優勝

愛知県出身の杉浦は3歳でゴルフを始め、小学生のころは並行して野球にも取り組んだ。

「ゴルフがどんどん上達していくときで楽しかったのでゴルフで頑張りたいなと思いました」

と中学からはゴルフに専念。

福井工大福井高2年だった2018年には「日本ジュニア」で優勝している。

翌年の19年にはJGAナショナルチーム入り。日大進学後も成長を続け、当時アマチュアの蝉川泰果が優勝した昨年の「日本オープン」で3位タイ。

さらに今年9月のABEMAツアー「ダンロップフェニックスチャレンジ」ではツアー史上8人目のアマチュア優勝を果たした。

今大会の出場権はその優勝で得たものだった。

画像: 得意のショートゲームも冴えわたった(撮影/有原裕晶)

得意のショートゲームも冴えわたった(撮影/有原裕晶)

ショートゲームを得意とする一方で、大学入学後のトレーニングで飛距離もアップした。

「ボクは力みやすいのでなるべく力を抜いて、飛ばそうと考えずにいいスウィングをすることを心掛けています」

としながらも、今大会の平均302.5ヤードは出場選手中5位。

潜在能力の高さを伺わせた。

今季の残り2試合はプロとして出場

国内ツアーで最初にアマチュア優勝を果たしたのは1980年の倉本昌弘。2人目の石川遼が現れるまで27年を要した。4年後の2011年には松山が優勝。

近年はコンスタントにアマチュアが勝っており、19年に金谷拓実、21年に中島啓太、22年に蝉川(2勝)がレギュラーツアーを制した。20-21年は統合シーズンだったため、今回の杉浦で4シーズン続けて、アマチュアが勝ったことになる。

杉浦がプロを目指すと決めたのは小学生のころ。優勝を重ねる石川を見て

「かっこいいなと思ったからです」

高校時代にはその石川主催のジュニア大会で優勝し、対面も果たしている。

画像: 最終日に、"アマチュア優勝の先輩"中島啓太と優勝争いを演じた杉浦(撮影/有原裕晶)

最終日に、"アマチュア優勝の先輩"中島啓太と優勝争いを演じた杉浦(撮影/有原裕晶)

また、今大会3打差の2位タイに入ったのはナショナルチームの仲間だった中島と蝉川。杉浦のストーリーに歴代のアマチュア優勝者が次々に登場するのは何かの縁だろう。

アマチュアとして出場したため、規定により優勝賞金(4000万円)は受け取れないが、即プロ転向したことと主催者の意向により、高級車や宮崎牛などの副賞はゲットした。

ある意味、これ以上ないプロとしてのスタートを切ったといっていいだろう。

「まずプロとして1勝を挙げることが目標です」

先輩のアマ優勝者たちがそうだったように、杉浦がこの目標をクリアするのにそれほど時間はかからないはず。

プロとして戦う今季の残り2試合でも、賞金王を争う中島と金谷から主役の座を奪うような活躍が見られるかもしれない。

This article is a sponsored article by
''.