ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回はフェデックスカップフォール6試合目のバミューダ選手権で、9年振りの優勝を飾ったカミロ・ビジェガスについて語ってもらった。

「実は努力家のハードワーカー」(佐藤プロ)

フェデックスカップフォール6試合目のバミューダ選手権で、9年ぶりの優勝を飾ったカミロ・ビジェガス。日本のファンは“懐かしい”と思うかもしれません。

ビジェガスは残り3試合の時点でフェデックスカップランク223位でQスクールのセカンドへの申し込みを済ませていました。それがワールドワイドテクノロジー選手権で2位になりファイナルQTに進めることになったばかりか翌週の出場権も獲得。その試合で優勝し、Qスクールを通り越して2年シード獲得。1月のソニーオープンから出場できるだけでなく、例年通りだと9年振りのマスターズ、全米プロの出場権も他に入れそうです。

コロンビア出身の41歳。若いころは飛距離と、ラインを読む姿から「スパイダーマン」の愛称で話題の選手でした。細身の体にフィットしたカラフルなウェアもあり、派手で“魅せる”タイプの選手というイメージで見ていました。

画像: かつてのビジェガス。「スパイダーマン」の愛称で親しまれていた(PHOTO/Hiroaki Arihara)

かつてのビジェガス。「スパイダーマン」の愛称で親しまれていた(PHOTO/Hiroaki Arihara)

もちろん人気先行というわけではなく、フロリダ大時代は4年間オールアメリカンに選ばれたエリート。04年にプロ転向すると05年には初シード、プロ初優勝は07年の日本ツアーの東海クラシックでした。さらに翌08年に全米オープンで9位タイ、全米プロで4位タイに入ると、9月のBMW選手権とツアー選手権で連続優勝を果たし、賞金ランクは2位、世界ランクも一気に7位まで駆け上がりました。

10年にホンダクラシックで優勝するも12年は不調で、14年のウィンダム選手権でのサプライズ優勝はありましたが、その後シードを取ったり落としたりして、18年以降は一度も125位に入っていませんでした。ボクの中では正直、終わった選手のひとりになっていました。

そのプレースタイルや外見から、チャラチャラしたイメージがあったのも事実。ボクの大学のチームメイトにコロンビア人がいて、陽気でおおらかだけど細かいことを気にしないタイプだったので、それがビジェガスとダブって感じていたのかもしれません。

実は20年に彼は22カ月の娘を脳腫瘍で亡くしました。この死に直面したとき、3日間泣き続けた後、夫妻は「WHY ME(何で自分だけが)?」とならずに「WHAT FOR(何のためにこれは起きたのか)?」と考え、アクションを起こしました。娘の名前を冠した基金を立ち上げ、夫婦で小児がんの子への活動を行っているのです。

優勝を決めた瞬間、空を見上げた彼をファンの皆は感動しながら見ていたのではないでしょうか。

画像: PGAツアー「バターフィールド・バミューダ選手権」で9年振りの勝利を挙げたカミロ・ビジェガス(PHOTO/Getty Images)

PGAツアー「バターフィールド・バミューダ選手権」で9年振りの勝利を挙げたカミロ・ビジェガス(PHOTO/Getty Images)

今年2月にアルゼンチン人コーチのホセ・カンプラに出会い、大きなスウィング改善に取り組み始めたそう。元々、スウィング改造には否定的だったビジェガスですが、「1年はかかるがいいほうに向く」という言葉を信じたようです。

勝てなかった9年間、それでもビジェガスは早朝練習を続けていたそうです。実は努力家のハードワーカー。おそらくゴルフの神様と天国の娘さんは、その姿をいつも見ていたのだと思います。

※週刊ゴルフダイジェスト12月19日号「うの目 たかの目 さとうの目」より

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