「『とんぼ』も24 年に10周年を迎えるんです」(かわさき)
かわさき 23 年のダンロップフェニックスの2日目、僕、観に行っていたんですよ。
松山 そうですか。ダメなところしか見せられていないですね(笑)。
かわさき いや、すごかったですよ。まずはギャラリーがすごかった。皆がずっと付いて歩いている。ほかの組に行ったら、結構人気がある選手でも数人しかいなくて。皆松山プロのところに行っていて、やっぱりスターだなって。
松山 いえいえ、あの2日目のプレーは見られたくなかったですねえ……。
かわさき そうやって、自分のプレーをすぐに思い出せるところがすごいんです。松山プロは22-23 年シーズンでPGAツアー本格参戦10 年目を終えました。
松山 そうですね、あっという間の10 年でしたし、いいときも悪いときも、もちろんあったんですけど、この10年のなかで、マスターズの勝利もありますし、優勝8回もありますし、それは良かったなあと思います。
かわさき 実は、「とんぼ」も24 年に10周年を迎えるんです。
松山 そうなんですか! おめでとうございます。
「最近の『とんぼ』は読むことができていないんです」(松山)
かわさき いやいや、松山プロこそ、おめでとうございます。僕の漫画のほうでは、ずっと七転八倒でした。作画の古沢(優)先生は、「25 年以上やるぞ!」と言ってくださいますが、僕はそんなにネタはあるのかって。
松山 まだまだ続きそうじゃないですか(笑)。
かわさき でも、10 年続けられたことは誇りに思います。
松山 僕は最近の「とんぼ」は読むことができていないんですけど、やっぱり初めの頃が面白すぎて。
かわさき 本当に読んでくれていたんですね。ありがとうございます。
松山 3番アイアンであんなに飛ばないよって(笑)。
かわさき はははは。
松山 あのバンカーから出せるのがスゴイですよ。
かわさき 漫画ですから、少し荒唐無稽なところがあるんですよ。でも単純に”3鉄”でポットバンカーから出したら面白いよねって いうので。ポットバンカーじゃなければ出るとは思うんですけれど。
松山 まあそうですね。でも、実際にああいうことを、昔のプロなんかはやっていたと聞くので。
かわさき 松山プロだったらできるのでは?
松山 3番アイアンではさすがにない(笑)。6番アイアンくらいは遊びでやります。チーム内でアプローチ勝負するときなどに、僕が6Iでやったりしましたね。でもとんぼみたいにはできないですよ。
かわさき 松山プロは、マスターズチャンピオンで確固たる地位を築いている大スターですけど、まだ何者にもなれていなかった頃……例えば、中学とか高校くらいのとき、言い方は悪いですが、その他大勢のなかの1人の選手だったときに、どういう気持ちでいたのかなって。それでも「上に行くぞ!」という強い気持ちでいましたか? それとも周りを見て「周りの連中上手いなあ」と思ってやっていたのか? それが聞けたら、今、その立場にいる子どもたちにすごく勇気になるんじゃないかな って。
「中1の全国大会で一緒に回った石川遼が衝撃だった」(松山)
松山 中1の終わりの春先に初めて全国大会に出て、一緒に回ったのが石川遼なんですけど、そのときの衝撃が僕にはすごくて。家に帰って父親に「すごいヤツがいた!」って言ったんですけど、「お前が下手だからだろう」と言われたんですけどね。
かわさき へえ、衝撃だったんですね。
松山 はい。でもやっぱり中2の夏になって、彼は全国で普通に勝ったので、すごいなあ、やっぱりこういうヤツに勝たないといけないんだろうなって思いました。そして中3の全国大会、初めての会場で、最終日最終組で一緒に回ることができたんですけど、目の前で優勝されて、やっぱりこいつはすごい、勝ちたい! と勝手にライバル意識を持って。彼は覚えていないんですけどね。そうしたら、高校1年生になって、ツアー(マンシングウェアオープンKBSカップ)で勝っちゃった(笑)。
かわさき そうなんですね。
松山 高校に入ってからもずっと同じような感じで。僕は高2で初めてツアーに出たんですけど、彼はその試合で優勝したりしていたので(マイナビABC選手権)。
かわさき でも、絶対に勝つぞ、追い越すぞという気持ちはあったんですよね?
松山 そうですね。世界というところにはまだ目が向いていなかったですし、高校生に勝つ、同世代に負けたくないと。いずれプロになって日本ツアーで優勝できたらいいなあ、くらいにしか思ってなかったんです。
かわさき どのあたりで世界を考えるようになったんですか?
松山 高校生のときもアジアの大会に行かせてもらって、面白い選手がたくさんいるんだなあと思ったりしましたけど、まだ何とも思わなくて。やっぱりアジアアマ(アジアアマチュア選手権)に優勝してマスターズに行けるとなったときに初めて、「世界ってどんなものだろう」と思ったのかな。
かわさき あのときですか、ちょっと意外です。
「実際にマスターズに行って、この場所で戦いたいと思いました」(松山)
松山 実際にマスターズに行って、この場所で戦いたいって。初めて、「自分が行くべき場所はここなんだ」と気付いて。それからは、そこを目指して頑張っていました。
かわさき すごいなあ、それも。すごいなあしか言ってないけどね(笑)。机に向かえば、もっといい言葉が出てくるんだけど。でもアメリカによく飛びましたね。
松山 あとは、大学2年のときに日本ツアーで勝てたので。勝ってすぐにプロにならなかったのは、準備したかったというのがある。そして大学4年のときに賞金王になって、アメリカにすぐに行きたいと思ったんです。その年の全米オープンで、たまたまトップ10に入れて、出場資格が少しずつ得られるようになり、そのままの勢いでシードが取れちゃったので。
かわさき 普通は、言葉などが不安になったり、少し段階を追ってと、行けない人も多いですよね。
松山 言葉は、もともとできないものだと思っていた部分もある。あまりにできないから心配で通訳さんを付けてくれた(笑)。まあ、準備したところで僕は英語ができるようになるタイプではないと自分でわかっていたので。勉強してできるようなタイプではない。だから行くならもう、早く行きたいというのがあった。
「飛び込む、ということが皆が一番できないことです」(かわさき)
かわさき 飛び込む、ということが皆が一番できないことです。「とんぼ」もそういう傾向にはありますけれどね(笑)。僕は、「とんぼ」と松山プロがリンクするところって、「ゴルフが好き」ってことだと思うんです。
松山 はははは。
かわさき 火の玉のようにゴルフが好きなんだろうなって。
松山 好きですねえ。
かわさき 仕事でやっているとか、そういうのではなくて、ゴルフが好きで好きでしょうがないんだろうなって。それを一番感じます。ちなみに僕もめちゃくちゃゴルフが好き。才能がないだけで。実は僕は、栃木県の矢板カントリーで研修生をしていたんです。プロテストも5回受けて、落ちました。
松山 僕は受けてないんですよ。今受けたら落ちるかもしれないけど(笑)。ちゃんと受けていたら、今の立場はなかったかもしれませんね。
かわさき そんなことはない。受けずに世界に行けるのがすごい。
松山 でも今の若い選手、ほとんどプロテスト受けていないですよ。
かわさき アマチュア優勝もこれだけ増えて。最年少優勝とかも。
松山 そうです、すごいです。
かわさき でもアメリカに飛び込んだ松山プロを見て、そういう若手が増えているんですよ。若手に経験や技の引き出しを開けて、渡しているんでしょうね。
※本記事の全文「つづけるチカラ 松山英樹×かわさき健」は『週刊ゴルフダイジェスト』2024年1月9&16日号、および『MYゴルフダイジェスト』に掲載されています。
PHOTO/Takanori Miki、Taku Miyamoto、Tadashi Anezaki
※週刊ゴルフダイジェスト2024年1月9&16日合併号「つづけるチカラ 松山英樹×かわさき健」より一部抜粋