PGAツアーのアジア圏マーケティングディレクター、コーリー・ヨシムラさんがチョイスした記事や選手たちのストーリーをご紹介。今回は、松山英樹の英語スピーチ、その2。
画像: 2019年からタッグを組んだ早藤将太キャディとは中学、高校、大学の先輩と後輩。二人三脚で勝ち取った栄冠だったが、翌年のチャンピオンズディナーでは孤軍奮闘せざるを得なかった

2019年からタッグを組んだ早藤将太キャディとは中学、高校、大学の先輩と後輩。二人三脚で勝ち取った栄冠だったが、翌年のチャンピオンズディナーでは孤軍奮闘せざるを得なかった

名手の心をつかんだスピーチ

2年前のチャンピオンズディナーで前年の覇者としてホスト役を務めた松山英樹が行った英語のスピーチは、その場にいた歴代チャンピオンの心をつかみました。

「松山のスピーチには、そこにいた誰もが心を打たれた。原稿を見ず、英語でスピーチを終えると皆が総立ちで拍手を送った。そんなことは初めてだった」と1962年以来、ディナーに参加し続けているレジェンド、ゲーリー・プレーヤーは語りました。

ゴルフ界きっての日本好きを公言する彼は、ディナーの間、日本語を交えながら松山の代弁者の役割を買って出たのだとか。その内容は明らかにされていませんが松山は御大の気遣いに敬意を示しました。「とても温かく迎えられて、あまり英語が話せないことが申し訳なかった」と松山は恐縮します。英語を習得したい気持ちはやまやま。しかし遠征の合間で勉強するには時間が足りません。

スピーチで語った内容は、彼にとってマスターズがどんな意味を持つ大会なのかについてが主でした。4歳でゴルフを始め、その翌年にタイガーがマスターズに初優勝したシーンを朝5時に起きて見たことなど自身の原風景を伝えたのです。

画像: 2011年にマスターズ初出場、ローアマに輝き、その10年後、マスターズチャンピオンとなった

2011年にマスターズ初出場、ローアマに輝き、その10年後、マスターズチャンピオンとなった

2010年アジアパシフィックアマで優勝し、マスターズ初出場でローアマに輝いた松山は、10年後、日本人初のマスターズチャンピオンとなりグリーンジャケットに袖を通しました。

2007年の覇者ザック・ジョンソンは「これまでもディナーでは素晴らしい瞬間を多く体験してきた。でも松山のあのスピーチには最高の感動、敬意、そして気品を感じた」と言います。

松山と仲の良いアダム・スコットは「我々は皆ゴルフを愛している。その素直な気持ちを伝えようとした松山の努力が、その場にいた全員の心に響いた」。スコットもまた「席を立って、テーブルについた人たちの顔を見た瞬間、一瞬で体が固まった」自身の体験を振り返ります。スピーチを終えると松山はスコットとプレーヤーに挟まれた席に座りフィル・ミケルソンの話に耳を傾けました。

今後も優勝候補であり続けるであろう松山は、さらなる栄冠を目指しています。ただし、ひとつのことを除いて。「また優勝したいけれどスピーチはもういいかな(苦笑)」

※週刊ゴルフダイジェスト2024年6月18日号より(ARRANGE/Mika Kawano PHOTO/Taku Miyamoto) ※PGAツアーはBSJapanext(BS放送)、ゴルフネットワーク(CS放送)、U-NEXT(動画配信サービス)で毎週LIVE中継が見られます

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