プロゴルファーであり、数々の作品を世に出した作家でもある坂田信弘が2024年7月22日に鬼籍に入った。氏の処女作に当たる1984年の自戦記は掲載済みだが、代表作といえば『週刊ゴルフダイジェスト』に寄せた「マスターズ観戦記」だ。坂田プロが初めてオーガスタに降り立った1985年の観戦記を練習日の火曜から最終日の日曜まで6回に分けて紹介する。氏の独断と偏見、そして、ユニークな視点を味わっていただきたい。改めて哀悼の意を表します<1回/全6回>

小高い丘の上にあるクラブハウス裏に南北戦争を見つめてきたであろう樹齢不明な樫の木がある。その樫の木の下に立ってみると7ホールが見渡せた。

私は初めて来たのだが、無性になつかしかった。本当に美しいコースである。一説によればメンバー数260名ぐらいだといわれている。その説も確かではない。メンバーの名、公表されたことはない。すべてが保守という伝統に隠されている。

このオーガスタコースで一年に一度、外様だけがプレーできるときがある。世界最上位に位置するプロゴルファー、それにアマチュアだけが1週間プレーできるのである。

昨年暮、私は中島常幸と対談した。その時、中島はしきりと、存在感という言葉を口に出した。私にはそのあたりがどうも分からなかった。が、しかし練習ラウンドを見て中島がいう存在感を見つけることができたように思う。心・技・体を同化させた存在感、それをマスターズの出場者は持っている。

画像: 中島のいう“存在感”はオーガスタにあった(写真は1985年マスターズの中嶋常幸)

中島のいう“存在感”はオーガスタにあった(写真は1985年マスターズの中嶋常幸)

私は今日、18ホールを歩いてきた。フェアウェイもラフも同じ芝である。ラフが2センチほど長いだけである。それもギャラリーが歩くからペタッとした人工芝のようになってしまう。バーミューダグラスにライグラスをオーバーシードさせてある。芝生のじゅうたんである。グリーンはベントグラス、もちろんかたびらといったたぐいの異質物は全くない。夕方、歩いてみたが固く感じた。スパイク跡もたくさん残っている。3.1ミリのカップ幅というが茶色に変色したところがないのでまだ短く刈る余裕があるのではと思える。80%の山砂と20%のピンクマウスがグリーン土壌であるとのこと。

トム・ワトソンが、落ちてバックスピンかからぬストーンという球筋求める訳もわかった。理由はグリーンにある。スピンかかればグリーン外へところがり出る、そういうグリーンが多くある。小さいうねり、大きいうねりが18ホールすべてにある。ジュンクラシックCC18番ホールグリーンを半分にしてより一層の傾斜、うねりをつけたようなグリーンである。前へも後へもいかぬ、落ちたまま動かぬ球を必要とするグリーンである。バンカーはジョージア州内でとった珪砂と山砂を混ぜた砂を使っている。手にとってみるとキラキラ光る。そして軽い。目玉になる可能性も高いと思う。このことは、スーパーインティンジェント(グリーンキーパー)ファラーに聞いた。

4時過ぎ、練習場へ行ってみた。練習場にもゲストスタンドが、設けられている。トム・ワトソン、ラリー・ネルソン、ジョニー・ミラー、ファジー・ゼラーらが並んで打っている。トム・ワトソンはトップスウィングの位置を1球ごとに確認して打っていた。彼はドローボール。ラリー・ネルソンは、単純にポカポカ、スウィング作業で球叩いている。ドローボール。ジョニー・ミラーは右肩の位置より左肩の位置までの腕の振りを3度繰り返したあと、叩いている。フェードボール。ファジー・ゼラーはポンポン打っている。ストレートボール。ワトソンは同じリズムで構え、叩き、そして球が止まるまで下半身をくずそうとはしない。

※本文中の表現は執筆年代、執筆された状況、および著者を尊重し、当時のまま掲載しています。
※1985年5月1日号 週刊ゴルフダイジェスト「坂田信弘のマスターズゲリラ日記」より

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