NEC軽井沢72ゴルフトーナメント(軽井沢72ゴルフ北コース6,685/Par72)初日が8月9日に行われ、笠りつ子が7アンダー首位でホールアウト。降雨サスペンデッドで、1ホールを残した上田桃子が3打差4アンダーで3位タイ。笠と上田は、先日亡くなった恩師・坂田信弘への感謝を胸に、今大会に挑んでいた。
画像: 練習日、恩師・坂田信弘への感謝を語った上田桃子(撮影/岡沢裕行)

練習日、恩師・坂田信弘への感謝を語った上田桃子(撮影/岡沢裕行)

恩師・坂田信弘と教え子・笠りつ子と上田桃子との絆

7月22日に坂田信弘はこの世を去った。その前日(大東建託の最終日)、笠りつ子と上田桃子、笠の父・清也さんの3人が坂田と”最期の会話”をしていた。

「坂田さんは言葉を口にできる状態ではなかったんですが、亡くなる前日にりつ子と桃子と3人で話をしました。でも、翌日容態が急変したようです」(清也さん)

笠と上田は、坂田が作ったジュニアゴルファーを育成する熊本坂田塾で育った。清也さんは、熊本のトップアマで自身が経営するゴルフ練習場を坂田塾に提供し、坂田が執筆や講演、ジュニアゴルフ界のために全国へ飛び回る間は、坂田の右腕として熊本塾を支えた。

笠と上田がジュニアからプロゴルファーへ育ち、それぞれ独り立ちするなかでも、坂田と3人は深い絆で結ばれていた。

坂田が築いた"熊本ゴルフ"を「継承していきたい」(上田桃子)

大会練習日、上田は坂田との最期についてこう話した。

「私が直接話したのは福岡(和白)の試合会場でした。『元気か、焦らずやれよ、頑張れよ』と声をかけてくれて。りつ子と電話で話したときは、坂田さんは声にできませんでしたが、『笑って頷いてるよ』と奥さんから聞きながら、(受話器越しに)私たちの声を伝えました。湿っぽい感じではなく、りつ子はいつもの明るい感じで『今日も元気で行ってきますよ~』って、ワイワイしながら話したのが”最期”となりました」

上田は坂田への感謝の想いと坂田が築いた熊本ゴルフについての想いがある。

「私が継承できるとこはしていきたいと思います。みなさんが思っている以上に、とくに女子ゴルフ界への貢献度はかなり大きかったです。いまは(子どもたちが)当たり前にゴルフをできるようになりましたが、ゴルフができる環境に整えたのは、本当に大変なことだったと思います。私たちの時代はゴルフを簡単にできなかったので……」

初日首位に立った笠もまた坂田への想いを話した。

「厳しさの中にもすごい優しさがあったので、経験できて良かったです。(私のことを天国で)見守ってくれているんだろうなと思いますけど、勝っても(直接)報告はできません……」

坂田が亡くなった後、meijiカップで5位だった笠は今大会で初日首位に立った。「絶好調ではないので(坂田さんが)後押ししてくれると思います」という上田は3位につけた。

2人の教え子が魂を込めた1打は言葉以上に天国にいる恩師に伝わるはずだ。

坂田信弘が遺したもの

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