プロゴルファーであり、数々の作品を世に出した作家でもある坂田信弘が2024年7月22日に鬼籍に入った。処女作に当たる1984年の自戦記は掲載済みだが、代表作といえば『週刊ゴルフダイジェスト』に寄せた「マスターズ観戦記」だろう。坂田が初めてオーガスタに降り立った1985年の観戦記を練習日の火曜から最終日の日曜まで6回に分けて紹介する。氏の独断と偏見、そして、ユニークな視点を味わっていただきたい。改めて哀悼の意を表します。<4回/全6回>

中島、きょう70、2日通算147のスコア、彼の妻、律子は「神様のおかげです」といっていた。目が潤んでいるようにみえる。オーガスタのグリーンは日本のように乗れば何とかくるという性質のものではない。

ピンの位置で狙う地点は決まってくる。漠然とした旗狙いではオーガスタのグリーン、微笑みはせぬ。オーガスタは点と点のゲームである。線という発想を拒否するところにオーガスタの難しさがある。

ディボットに興味があったので、6番ショートティ、そして7番ミドルホールフェアウェイ、そして8番ロングホールグリーン近くを試合終了後、歩いてみた。大体において、飛行線より左へカットに抜けている。

瞬時のことではあるが、インパクト直後にスクエアになっていると思う。高いドローボールの打ち方である。ディボット跡の深さは一定せぬが、ピンより左側へ抜けていることは確かである。よほどの腕力がないと、できぬものと思う。ヘッドがトウ部分より入り、トウ部分が最後に抜けている。このことはアドレス時よりインパクト時の方が手首の確度が浅いということである。腕力で叩いている証拠と思う。

練習場でもほとんどが左手の動き、それにトップの位置を修復確認をしながら、球を叩いている。オーガスタのグリーンはバックスピンの強烈さが時には命とりになる。

15番ロング。以前このホールは、グリーンが池の手前まであり、池への順目刈りしていた。スピンで池ポチャ多く、ロングヒッター、T・ワイスコフは常時刻んでいたという。

今年、フロントエッジが広くなり、池のふちに5センチほどのラフがつくられている。それでみなセカンドでピンを狙っている。イーグルも多く、見ていて実におもしろい。

ニクラスもワトソンもほとんどターフ取らぬ。球を“拾って”いく打ち方をする。こちらではスクエア打法、スウィープ打法といっている。

二クラスのサンドウェッジは薄い。マグレガー・ミュアフィールドを使っている。こちらの選手のサンドウェッジのソール幅はみな薄い。芝生がやわらかいので、薄いものでもよく抜けてくれる。もちろん、連中は腕力がある。

画像: ジャック・ニクラスのバンカーショット。もちろん手にはサンドウェッジが握られている

ジャック・ニクラスのバンカーショット。もちろん手にはサンドウェッジが握られている

高い球は本来、厚いサンドウェッジの方が打ちやすいはず。高麗には厚いサンドが適している。P・スチュワート、G・ゴルバーグ、若手連中は、30ヤードぐらいのバンカー越えアプローチをする時、そのスウィングの大きさで球を上げている。非常にやわらかい球筋を生じる。

中島もよくやっている。R・ブラックが15番ロングの2打目を池に入れた。池のふちにドロップするものとみていたが、彼は池より30ヤード下がった。ピンまで60ヤードのチップを90ヤードのチップショットにしてきた。

日本のプロならまず近い距離から寄せることを考える。

アメリカの若手がスウィングフォローの幅の中で、自分の得意の距離をもっている証拠である。

日本ではインパクト時のカンでショートゲームの距離をつくっている。インパクトのカンか、それともスウィングのフォローのカンで距離のカンをつくるのか。いずれの方法も正しいと思う、それぞれの長所がある。

※本文中の表現は執筆年代、執筆された状況、および著者を尊重し、当時のまま掲載しています。
※1985年5月1日号 週刊ゴルフダイジェスト「坂田信弘のマスターズゲリラ日記」より

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