2024年10月8日号の「週刊ゴルフダイジェスト」では、ゴルフ王国タイランドに住み“お坊さんプロゴルファー”としてさまざまな顔を持つ中村映禅(本名・晃也)に関する記事を掲載している。「みんなのゴルフダイジェスト」でも中村の、何とも摩訶不思議な、味わい深い人生、そして本願について紹介していこう。

実家は奈良にある650年続く浄土宗の寺である。中村映禅は、その寺「西迎院」の24代目になるつもりで幼き頃から生活していた。

画像: ゴルファーであり「西迎院」の24代目の中村映禅さん

ゴルファーであり「西迎院」の24代目の中村映禅さん

「お坊さんにもピンからキリまでおって、素晴らしい方から飲み歩いている方までおります。うちの親父はホンマに尊敬できるお坊さんで、僕もそうなりたい思うて生きていたんですよ」

しかし、大学を卒業する頃、「ややこしい世界やな」と思い始めた。

「浄土宗の法然上人言うたら800年くらい前の人。お釈迦さんもそうやけど、そのお言葉を信じて、皆さんに仏教を説く。お坊さんは橋渡しの役目やないですか。でも仏教って見えないから難しい」

画像: 奈良にある650年続く浄土宗の寺「西迎院」

奈良にある650年続く浄土宗の寺「西迎院」

やればやるほどわからない世界になってくるのだという。

「いろんな書物を読んで賢くなることはもちろんやけど、仏さんが実際今でも実在している遠い世界があって、そこに命が終わったら行くために、今ここの人間の世界で修業している。そこに橋渡しの役目をするわけやから、お釈迦さんのご名代になる。だからキンキンランランのお袈裟を着るんです。でも、僕は修行して資格は取らせてもろうたけど、ホンマに代わりになっているんか。はっきりとお伝えする自信がなかったんです。うちはお寺で言うたらむちゃくちゃ立派なエエ血筋。皆立派や
けど、僕一人超取り残されている気になって。自分のなかではムリやわ、しんどいわと思って」

さて、ゴルフとの出合いだ。野球少年だった中村。甲子園の常連で浄土宗の系列でもある上宮高校に進学するも、1年時にケガで野球を断念。高2の頃友人とともにゴルフを始めた。すぐにハマった。

「佛教大学に進んだのでゴルフ部はないんです。でも、プロになろうと思っていました」

ゴルファーとして「ゴルフはアイテム。生きるための、最強の!」

お坊さん家業も行いながら、日本プロゴルフ協会のティーチングの資格を取得、ツアープロ目指し、27歳にはQTサードまで進んだ。タイとの出合いもこの頃である。

「25歳の頃、奈良県の若い坊さんの研修で選抜されてアユタヤでプチ修行。当時は嫌々でしたわ。でもそのとき初めて、タイがゴルフ大国で、タイガー・ウッズのお母さんがタイ人やと知った。それでまたすぐにタイに来て、シンハー(ビール)のツアーのQTを受けて通ったんです。お坊さんもやりながら日本とタイを行ったり来たりしてタイの試合に出ていました」

タイでのゴルフは最高に気持ちよかったという。

「鳥の鳴き声、空気感……直感的に合うなあ、好きやなあ、こんなところでずっとゴルフできたらなあと。それに日本ではお坊さんでもあるから急に『お葬式やから帰ってこい』いうこともあってね」

30歳頃からはお寺の仕事が多くなり、モヤモヤも続いていた。

画像: お坊さんとしてタイに浄土宗の寺を作り、ゴルフウェアで説法をしたい。ぼくの素性を調べるため、タイでNo.3のお坊さんが実家に泊まったこともある

お坊さんとしてタイに浄土宗の寺を作り、ゴルフウェアで説法をしたい。ぼくの素性を調べるため、タイでNo.3のお坊さんが実家に泊まったこともある

「お通夜などで説法はそれなりにできるんですけど、腹のなかから話をしていないから、もうしゃべれなくなってきて、“坊さんイップス”になったんですよ」

ゴルフでのイップスは、真面目で考えすぎ、練習しすぎな人がなりやすいという。

「でも、ちゃんとしたいという気持ちはむっちゃありましたよ。自分だけ何でこんな感じに思ってしまうんかなあと」

この頃、奥田靖己と出会う。奈良の“坊さんコンペ”に来ていた。

「最初の印象は最悪でした。『何やその服は』なんてカマされて、嫌な人やなあと。同組で回りパープレーで同点。でもボロカス言われました。『打ち方は酷い、何やそのフィニッシュ、ゴルフを何に
もわかっとらん……』。失礼な人やなあ、二度と会いたくないわと。周りの皆にも言っていました」

画像: バンコク市内で「ZENゴルファーズファクトリー」、近郊のザ・レガシーGCで「ZENゴルファーズアカデミー」を営み、ゴルフ合宿なども請け負う。「シニアプロテストを知ってタイに初めてゴルフをしに来る方が最近増えています。皆シニアです」(中村)。中村のもとで働くスタッフたちも、新しいチャレンジを求めてタイに来た

バンコク市内で「ZENゴルファーズファクトリー」、近郊のザ・レガシーGCで「ZENゴルファーズアカデミー」を営み、ゴルフ合宿なども請け負う。「シニアプロテストを知ってタイに初めてゴルフをしに来る方が最近増えています。皆シニアです」(中村)。中村のもとで働くスタッフたちも、新しいチャレンジを求めてタイに来た

数カ月後、同じコンペで再会。その日は土砂降りだった。

「奥田プロは『ゴルフ日和や、行くぞ』言うて。皆カジュアルウォーターとかやっとるのに、涼
しい顔して水しぶきも上げんとチーンと打つ。技も何もかもが強烈にすごいと思った。次元が違っ
た。前に“同点”と思った自分が恥ずかしくなって。コンペ後、弟子入りさせてもろうたんです。ゴ
ルフで生きていきたいですと」

来るものは拒まない奥田。その後、多くのことを教えてくれた。奥田の師匠、高松志門の合宿にも行った。法要後、着物と袈裟と足袋のままコースへ行き、駐車場で着替えたこともある。

「35歳までかなりきっちり教えていただきました。一番は『グリップはやわらかく握っといてマルく振れ』。皆、自分が決めたスウィングをやろうとするけど、プロは風や景色やライをみてスウィングを変えていく。全然違います」

画像: 左から、中村、師匠の奥田靖己プロとジュニアからの弟子・立松里奈さん(バークレー大)

左から、中村、師匠の奥田靖己プロとジュニアからの弟子・立松里奈さん(バークレー大)

当時のことを奥田に聞こう。

「最初は赤いシャツ着て、チャラ男みたいな感じ。スウィングも縦に振っているからフックしか打た
れんような。ボールは飛んでいたけど、いろんなことはできんプロという印象です。そしたら2回
目のとき、僕が面白いことをやったから、この人に付いていこうと思ったらしい。あんな真逆なス
ウィングやのにホンマにやるんかいと。でもやる限りは僕も引けませんから、ずっと続けてね。僕の
マネはとことんやりよった。歩き方も雰囲気も。僕も師匠をマネしてたから痛いほどわかるんです」

※週刊ゴルフダイジェスト10月8日号「お坊さんゴルファー中村映禅」より一部抜粋

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知り合いも誰もいないタイに渡った理由や、タイでの生活などは10月8日号の「週刊ゴルフダイジェスト」または、Myゴルフダイジェストでご確認ください!

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