
「兄弟はマーベリック(左)、ダコタ、コルト、スカウト(右)とすべて"アメ車"の名前に。23年はSGパッティングが1位。ケガに泣かされティーショットの数字が落ち込みましたが、24年はしっかり戻しました」と佐藤プロ(PHOTO/Getty Images)
マーベリック・マクニーリーは17年のプロ転向から142試合目、100回目の予選通過で、29歳にしてようやく初優勝を成し遂げました。
アマ時代の彼の戦績を見ると「ようやく」という言葉も理解できるでしょう。生まれも育ちもスタンフォード。スタンフォードGCでの初のクラチャンは13歳。高校まではアイスホッケーに夢中でしたが、スタンフォード大に進むとゴルフに専念。
大学時代に挙げた11勝は、タイガー・ウッズ、パトリック・ロジャースと並ぶ同大の最多勝記録です。さらにハスキンズ賞、ニクラス賞、ホーガン賞、ネルソン賞と、アマチュアを対象とした賞を総ナメし、世界アマチュアランク1位にも輝きました。
学業も優秀で、同大でも最も難関とされる経営学と工学の学位(MS&E)を取得。祖父や父のようにビジネス界に進むかプロ転向するか、去就が注目される存在でした。もうひとつマクニーリーが注目されるのが、「ゴルフ界一のお坊ちゃま」という形容詞です。祖父はアメリカンモーターズの副社長。父のスコット氏はスタンフォードの大学院時代の仲間と起こしたサン・マイクロシステムズの創業メンバーでCEOを長く務めました。
こう聞くと、鼻持ちならない金持ちのボンボンという嫌なイメージを抱く人がいるかもしれません。しかし、インタビューなどから垣間見える愛される人柄は、愛情溢れる家庭に育ったということを想像させます。
億万長者で息子よりも有名な父は「十分過ぎる資金調達をした新興企業は常に失敗する。仕事の成功は金ではなく努力とコミットメント(約束、言動、責任)」が経営哲学で、息子たちにも余計なサポートはしない教育方針を貫きました。
マーベリックを含む4人の息子に対し、大学を卒業すると同時に家賃を請求。かなりの豪邸で家賃も高額でしょうから、プロ転向後、やむなく家を出てマーベリックは一人暮らしを始めたそうです。
子ども時代から母が厳しかったのは、いい成績、いい態度、いい努力の3つに関して。優勝後のTV電話からわかる家族の仲のよさはそうした家庭教育によるものなのでしょう。
24年のZOZOチャンピオンシップからは正式に末弟のスカウトがバッグを担ぎ、初優勝にも貢献。それまでのキャディとは円満に関係解消し「先に勝ったほうが1000ドルもらえて、それを好きなところに寄付しよう」という賭けをしていたそうです。マクニーリーが勝ち、これから1000ドルもらって寄付するつもりだと会見で話していました。彼の一番のファンは祖母で、プロ入り後、5万ドル以上稼ぐと花束、ベスト10入りだとチョコレートを付けて贈っているのだそうです。
今は介護施設に入居する祖母は、それが楽しみで自慢だとか。「実はそのプレゼントを忘れると、クラブが壊れたり、ボールが割れたり、お腹を壊したりして悪いことが起きる」と、優勝後に笑いを交えて語ったマクニーリー。
その辺も彼の愛される理由でしょう。
※週刊ゴルフダイジェスト2025年1月7&14日合併号「さとうの目」より