
やまだ・たいせい
1995年5月15日生まれ。東京都出身。2022年にチャレンジの「太平洋クラブチャレンジ」で初優勝。2024年、ABEMAツアーの最終戦「ディライトワークスJGTOファイナル」に勝利して賞金王
「メンバーさんの応援が力になります」
GD 今日は所属の相模原GCでの取材ですが、随分たくさん山田選手のポスターがありますね。「祝・賞金王」と、あちこちに。
山田 そうなんです。最初はちょっと恥ずかしかったんですが、今は慣れましたし、うれしいです。
GD コース内にいるとメンバーさんたちからどんどん声が掛かっていました。
山田 僕が言うのもアレですけど、ここのクラブ、すごく雰囲気がいいんです。メンバーさんも素敵な方たちばかりなんですよ。
GD メンバー有志による「山田大晟応援プロジェクト」もあるんですよね。
山田 はい。2022年にABEMAツアーで初優勝し、23年は“裏シード”のような形でレギュラーツアーに参戦することになったんですが、プロジェクトは23年1月にはもう立ち上がっていました。これには僕もびっくりしました。

取材は所属の相模原GCで。メンバーから次々「おめでとう」と声が掛かった
GD ホームページもありますが、プロの活動にはお金がかかる、活動費を気にしながらの参戦は精神的にも良い環境ではない、として支援を呼び掛けている。
山田 本当にありがたいことです。なのに23年はうまいこといかず試行錯誤の日々。シードは取れずQTに臨みましたが、31位という微妙な成績。24年はレギュラーツアーの前半に出られたり出られなかったり、ウェイティングだったり。試合になかなか出られないつらさはありました。ただ、主戦場になったABEMAツアーでは開幕戦(Novil Cup)から優勝争いをして、最終戦のディライトワークスJGTOファイナルで優勝し、賞金王になれました。
GD 予想外の展開だったそうですね。
「賞金王はまったくの予想外でした」
山田 そうなんです。最終戦は単独1位でスタートしたんですが、賞金王は全然意識していなくて「QTには行きたくないなあ」と考えていたくらい。会場にはスコアボードがあまりないんですが、16番にあって、それで2位に4打差あるのを確認しました。18番は左にOBを打たなければいいか、みたいな感じで。ノンプレッシャーだったのが良かったのかな。終わってみれば2位の内藤寛太郎さんとわずか2万6869円差の賞金王。
GD 山田選手といえば宮里優作選手を師と仰いでいることも知られていますね。
山田 優作さんとの縁は21年のサトウ食品での練習ラウンドにさかのぼります。僕は大岩龍一と回っていたんですが、その前を優作さんが1人で回っているのが見えたので、声を掛けて合流しました。帰りのタイミングも同じで。次の試合は相模原GCでのダイヤモンドカップだったんですが、優作さんが「次の試合、大晟のところでだよね」と話し掛けてくれたので、すかさず「一緒に練習ラウンドしてください」とお願いしました。僕が予約して、「この時間で取りました」と連絡して。そこからですね。

年末のJGTOアワードにはスーツ姿で出席。人前で話をする機会も増えた
GD 優作選手に声を掛けるのは緊張しませんでしたか?
山田 そりゃあしますよー。だって、僕、優作さんの初優勝(13年のJTカップ)を見ているんです。東京よみうりのあの人だかりの中にいたんですよ。当時17歳。会場の東京よみうりは、電車で1人で行きました。実家から近いんですよ。ただ、それは物理的な距離の話。プロゴルファーとして東京よみうりは一番近くて一番遠いゴルフ場です。レギュラーツアーのトップクラスしかJTカップには出場できませんから。
GD その優作選手と今、話したり一緒に練習したりしているんですよね。
山田 信じられないですよね。人のゴルフを見て震えたのは、あの時が初めてでしたが、その人が今、近くにいるんですから。
GD 優作選手からどんなことを学びましたか?
山田 すごくたくさんあるから、どれからお話ししたらいいんでしょう。例えば……ゴルフって感覚のスポーツって言うじゃないですか。フィーリングやタッチだよ、とか。口で説明できないもの。それがアプローチひとつをとっても“正解”があるんだ、ということに気付かせてもらえました。優作さんに「こういうとき、優作さんはどうやって打ちますか?」と聞いたら「こう構えてボール位置はこうで」と明確な答えが返ってくるんですよ。それで思ったんです。1+1=2、みたいなことがゴルフでも言えるって。「2」っていう答えは絶対じゃないですか。優作さんのゴルフを見ていると、それがわかる。こういう状況、ピン位置はこう、風はこう、ならば正解はこう、みたいな。ああ、正解があるのかと思ったらゴルフがずいぶん楽になりました。しかも、優作さんはそういうのを惜しみなく見せてくれる人。

師としたう宮里優作と
GD 隠さないんですね?
山田 1聞いたら10教えてくれます(笑)。練習ラウンドで優作さんがアプローチしているのをずっとつけて行くこともあります。優作さんがアプローチしたら、僕もそこからアプローチして、また次打の地点にも行って。それが優作さんの経験から導かれた正解でしょう。ついて行けば間違いない。
GD もう少し“優作の教え”をお願いします。
「憧れの人と同じステージにいる。何だか不思議な感じです」
山田 マネジメントも本当に勉強になります。例えば“行くホール”と“行かないホール”があること。要はメリハリです。言うのは簡単ですが、いざやるとなるとすごく難しいことなんです。例えば、110~120ヤードでウェッジや9番アイアンを持つシチュエーション。自分の体の状態や調子で「今日はダメだ」と思うことはあるんです。そんなとき、“センターに打つ”というのも立派なマネジメント。“逃げ”ではなくて“術”なんです。初日、2日目としぶとく食らい付いて決勝に残れば何があるかわかりません。だから、状況によってはセンター狙いでいい、そういうケースはあるんです。試合中はアドレナリンが出ていて難しかったのですが、最近は自分も冷静になれるようになってきたかなと思います。
GD 優作選手も山田選手の賞金王を喜んでいらっしゃるのでは?
山田 はい。賞金王が決まって真っ先に電話したのは優作さんでした。何だか無意識にかけちゃって(笑)。そしたら「見てたよー」。そして「本当に良かったね」と言ってくれました。優作さんに喜んでもらえて僕もうれしかったです。
GD 人に恵まれていますよね?
山田 そうなんです。クラブの人たちや優作さん……あと、スポンサーさんたちもアイデアマンで面白い方ばかり。僕はウェアがジャックバニーの契約なんですけど、ジャックバニーさんから「湖池屋さんとコラボできないかなあ」という話があったんですね。系列のパーリーゲイツのハワイでのイベント参加中に「じゃあ僕が声を掛けてみましょうか」などと言っていたら、なんと前の組に湖池屋の社長がいて(笑)。そこからトントン拍子に話が進み、ジャックバニー×湖池屋のポロシャツが発売になりました。しかも大人気ですぐに売り切れになったんです。
GD すごい縁ですねえ。ちなみに相模原GCとの縁はどうやって始まったんですか?
山田 2007年の日本オープンをここ、相模原GCで見たんです。11歳でした。ロープの中の人が輝いて見えて「プロゴルファーになりたい」と意識するようになりました。その後は専修大学ゴルフ部でプレーしました。うちの父は横浜で床屋をしているんですけど、僕が大学生のとき、父の店のお客さんで相模原GCのメンバーさんがいたんです。僕が神奈川県の代表として国体に出ていたことなども知ってくれていて「卒業したらどうするの?」と聞かれて。「決まっていないけど、どこかのゴルフ場に……」と話していたら、その方がつないでくださって、トントンと話が進み、30何年かぶりの相模原GCの所属プロになりました。

30何年かぶりの相模原GCの所属プロになった山田大晟
GD またご縁を引き寄せた……。さて、休みの日は何をしていますか? 趣味やリラックス法はありますか?
山田 移動日の日曜はヒマなのでフラッと映画館かサウナ。そこではゴルフのことは考えないんですけど、サウナはプロゴルファーとの遭遇率がすごく高い。でも、全然嫌じゃなくて、会ったらずっとゴルフの話をします。「どこどこの何番ホールが……」とか話していると、つい長くなっちゃって危ないです(笑)。
GD では、25年シーズンの抱負やファンへのメッセージを。
山田 25年はレギュラーツアーで戦いますが、「初めまして、お邪魔します」という感じではないんです。最高の形で戻ってこられたので楽しみな気持ちでいっぱい。そして、それを結果につなげたいです。年末にQTがなかったことで、練習にしっかり時間を割けています。フィジカルトレーニングも過去イチできていると思うので、25年シーズンの山田大晟にご期待ください!
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「週刊ゴルフダイジェスト」2月18日号には24年ステップ・アップ・ツアー賞金女王の権藤可恋のインタビューも紹介されている。その内容は下記サイトからチェック!
PHOTO/Hiroyuki Okazawa、Tadashi Anezaki、Yasunari Okuda、Shinji Osawa、Getty images THANKS/相模原GC
※週刊ゴルフダイジェスト2月18日号「29歳のステージ」より