「ウィッカーバスケット」とは?
ゴルフ場のグリーンにはターゲットとなるピンフラッグがある。2打目、もしくは3打目などからそのピンを目がけてショットするわけだが、その時に攻める指針となるのがピンに付けられている旗の向きだ。風が右から吹いていれば旗は左方向になびき、逆なら右方向になびく。風がなければ付けられている旗は下がったままになる。

川奈ホテルの大島コース、36年開場の富士コースでは、ウィッカーバスケットのピンが使われていた
(昭和11年)
ゴルファーは風の強さと方向を情報として残り距離を計算し攻めるわけだが、旗が付けられていないピンもある。そのコースではどのようにしてグリーン上に吹く風を予知するのかは不明だが、なびく旗がないから上手く攻めることができなかった、という話は聞いたことがない。もっともアマチュアレベルのゴルファーにおいて風を計算できたとしても、毎ホールピンに絡めてショットを打てるわけではないから現実的には旗があろうがなかろうが差はあまりないのかもしれない。
1928年に開場した川奈ホテルの大島コースと、36年開場の富士コースは、かつてウィッカーバスケットのピンが使われていた。バスケットは視認できるように赤と白で塗り分けられていた。さらにバスケットの上部には三角の旗が付けられていて風の吹く方向を確認することができた。戦後になると使われなくなり、現存するのはホテルからゴルフのフロントに向かう通路の壁に飾られているものと、日本ゴルフ協会のミュージアムに保管されている2本のみだ。

大島コース開場95周年記念大会にて、ウィッカーバスケットを再現したものが使われた
2023年12月に、大島コース開場95周年記念大会が開催されたが、その時にかつてのウィッカーバスケットを再現したものが20本作られ使用された。
現在、ウィッカーバスケットを使用しているコースは少ないが、関西の吉川インターゴルフ倶楽部 MECHAでは数年前からウィッカーバスケットのピンが使われている。
有名なのは1950年の全米オープンで、ベン・ホーガンが交通事故から見事復活して優勝したペンシルバニア州のメリオンGCだろう。
コース建設をする前、ヒュー・アービン・ウィルソンは、イングランドやスコットランドのコースを7カ月に渡り視察をし、気に入ったコースやホールの資料を集めていた。ロンドン郊外にあるサニングデールGCでウィッカーバスケットのピンを使っているのを見ると、メリオンGCでも使うことを決意。
帰国後に、フィラデルフィアでウィッカーバスケットを製作する店を探すことができ、その店は香港に発注。完成品が届いたのは6カ月後でバスケットは40個あった。
ウィッカーバスケットの素材は竹、もしくは柳や籐のため雨などに弱いという欠点があるが、旗のピンよりもウィッカーバスケットのほうがゴルフ場の景観にマッチングしているという印象を受ける。
ちなみに、なぜウィッカーバスケットが「ピン」の語源になったかというと、その形が当時婦人用のツバ広帽子の止め針だった「ハット・ピン(Hat Pin)」によく似ていたことからだという。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中