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――ここまでの闇。小学3年からゴルフを始め、メキメキと力をつけていった小浦和也プロ。最大のサポーターだった父親からの優しくも厳しい叱咤を受ける日々を過ごす。「ゴルフなんてやめちまえ!」という言葉にもめげず、プロゴルファーになるという夢を掲げたのだが、進路選択で父親は常識的には考えられない行動に出る。
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小浦和也とその父・浩二さん。いまでは仲の良い親子だが、小浦がジュニア時代には聞き手であるヤマダが驚愕する出来事も
ヤマダ: 地区大会で優勝するほどの腕前だった中学生当時、プロゴルファーになりたいという将来の夢みたいなものを描いていたのでしょうか。
小浦: 僕、パイロットになりたかったんです。
父: それには勉強が必要だということで、進学校に中学受験までしてましたから。
ヤマダ: かなり本気じゃないですか。
小浦: はい、将来の職業として真面目に目指してました。
ヤマダ: どうしてそこからプロゴルファーにシフトしていったんですか。
小浦: 高校進学するのに、パイロットかゴルフか選ぶことになって。で、その当時、加賀崎航太くんがオーストラリアにいる天才少年としてテレビで取り上げられていたんです。それを見てスゴイ! と衝撃を受けて。
父: そんなに気になるなら見て来いって言ったんです。オレは行かんけど、と。
小浦: インターネットを駆使してアカデミーを調べて一人で会いに行きました。
ヤマダ: なんのコネクションもなく? 中学3年生が一人で?
父: 周りの人からは、あんたバカやろ、何でついて行かないんだってさんざん言われましたよ。でも、大きな決断をするときは一人で決めなきゃいけないというのが私の信念。将来は自分で切り拓くものですから。
ヤマダ: ちなみにその時のアドバイスは?
小浦: いいと思ったら1年でも2年でも契約してこいって言われました(笑)。
――今ほど通信環境がよくない当時、しかも初めての一人旅とあって当然ながらトラブルが多発した。
小浦: まず到着した空港で財布とパスポートをすべて落としました。
ヤマダ: いきなりとんでもないトラブルですね。
小浦: でも拾ってくれた人がいたんです。ただ、その後に乗っていたバスが事故にあって、目的地のホームステイ先の家まで行けず途中で下ろされてしまいました。
父: 和也から電話がかかってきて、どうしようなんて言っているから、片っ端から家のドアを叩いて探せと言いました。で、結果的にはちゃんと見つかった。
小浦: 同じカタチをした白い家がずらっと並んでいて、絶望的な気持ちになったことを覚えています。
ヤマダ: 当時の小浦少年は、なんてひどいことをするんだとお父さんを恨んだりしなかったんですか?
小浦: それが普通だと思っていました。行って来いと言われたから、行って自分で決めるもんなんだと。今考えると、ウチの父親かなりブッ飛んでいますよね。
ヤマダ: 正直、自立を促す行為と虐待かの境目というか。実行できた本人は当然ですが、親としてもかなりの責任をともなうやり方だと思います。
父: そうかもしれません。ただ和也が帰国して驚いたのが、周りを見る観察眼が鋭くなっていたことです。たった10日間だったのに驚くべき成長でした。
小浦: そうでもしないと生きていけない状況だったからだよ。
父: オーストラリアに行ったことで、プロになると将来を決めたんです。しかもオーストラリアは思っていたよりも“緩かった”らしく、県内の日章学園に行くと本人が決断しました。それらすべては、一人で行ったことで得た経験から生まれた。
ヤマダ: そのままエスカレーターで進学できる進学校の高校に行ってほしいという想いはなかったですか?
父: それはありません。和也の人生ですから。
――自主性を重んじる昨今の風潮の中でも、これほどまでに進路選択を本人にゆだねる家庭はあるだろうか。親の希望や打算のようなものが多少なりとも入ってきそうなものだが、小浦家にその隙は一切ない。いや、本当にそうなのか? 息子に高いゴルフの技術があったから、進学校に合格する地頭の良さがあったからできたことではないのか? 次回、小浦父の育児論をさらに掘り下げていく。
小浦父の育児論を聞いた第5話「成功だけを考えていませんか?」は明日(2025年5月5日)19時に公開予定。
語り手/小浦和也
1993年生まれ。専修大学のときナショナルチーム入りし、2年連続で「日本オープン」のローアマになるなど輝かしい実績を挙げ2014年プロ転向。2023年に初シード権を獲得した
聞き手/ゴルフダイジェスト・ヤマダ
ジュニア担当として全国の選手と親御さんに取材を続ける。自身も8歳から競技ゴルフをしてきた元ジュニアゴルファーで1児の父。
※この記事は、週刊ゴルフダイジェストの「ありがとうの闇」を再構成したものです