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――ここまでの闇。父親の厳しい指導のもと着実にレベルアップを重ね、宮崎の高校から東京の大学に進学した小浦プロ。親元を離れての一人暮らしとなったが、その間も親子は密にコミュニケーションを重ねた。
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小浦和也とその父・浩二さん。いまでは仲の良い親子だが、小浦がジュニア時代には聞き手であるヤマダが驚愕する出来事も
小浦: 地元にいた時のように恵まれた練習環境ではなかったので、父親に弱音を吐いたことがあったんです。
ヤマダ なにかアドバイスしたりしたんですか?
父: 東京には公園もないのか。素振りする場所くらい自分で見つけてクラブを振ってろ!と伝えました。そばにいないので、会話する時間がなるべく減らないようにということは思ってました。
ヤマダ ブレないですね(笑)。大学在籍時にはナショナルチームにも選ばれ、日本オープンで2度ローアマチュアも獲得。これは絶対にプロになって活躍すると思ったんじゃないですか?
父: 思いました。ただ見据えていたのはシード選手、つまり職業としてゴルフで食べていけるという状態でした。
――だが、小浦プロは在学時に血液の病気を発症し、思うようにプレーできない日々が続いた。
小浦: 人生最悪の状態でドン底でした。親父に「なんでプロゴルファーにしたんだ」なんて言ってしまったこともありました。
父: 和也は小さい頃から、すべて自分で進路を決めてきました。それでもそんな言葉が出てしまうような状態だった。その時に思ったんです、「生きていてくれさえすればいい」って。病気の発症以前にはなかった考え方です。
小浦: 初シードがかかった2023年、地元のダンロップフェニックス出場したとき、親父がホテルからコースまで毎日送ってくれたんです。
父: ほんの3分ほどの距離なんですけど、朝5時半にクルマを出してね。なにかしらの支えになればいいなという気持ちでした。特にこれといった話したってわけじゃないんですよ。
ヤマダ ジュニア時代とは違ったかたちでサポートされるように変わっていったわけですが、もし今、小浦プロがジュニアのころに戻れるならどのように育てますか。
父: 同じように厳しくはしないですね。もっとのびのびやってもらって、得意なところがグングン成長するように育てると思います。
小浦: 本当? その姿は想像できんね(笑)。
父: オレも反省してるのよ。3人の子を育てて仕事でも独立をして、いろんな経験をしてきたけど、やっぱり上から押さえつけるのは上手くいかないと思う。
小浦: ある意味、僕がプロになれたのは運だと思っています。親父に厳しくされていた時に、運よく上達をしていき、そして運よく成績も残すことができた。だから頑張ろうって思えたんですが、成績が出ていなければ気持ちが切れちゃっていたでしょう。
父: 実際、和也と同じくらい上手くて親御さんも厳しくやっていたのにやめちゃった子もたくさんいます。「自分ができもしないのになんでそんなに厳しく言うの」って当時の自分に言ってやりたいですよ。
小浦: カーッと熱くなっちゃう親御さんは、目の前の順位に一喜一憂しちゃってると思うんです。でも、ゴルフは努力をしたからってそんな順調に成績が伸び続けるものじゃない。生活態度とか礼儀みたいなことはちゃんと伝えたほうがいいけど、技術的なことで厳しく当たるのは考え直したほうがいいと思います。
父: それで親子の関係が崩れて絶縁状態になってしまったら、親はものすごく寂しいと思いますよ。わたしは今3人の子どもとはいい関係が築けていますが、子どもと絶縁なんて考えられませんから。
――父親の口から何度も出た「反省している」という言葉。もちろん当時も息子のためを思った行動ではあったのだが、そこに入り込んだ親の過度な期待やエゴが子育ての形を狂わせていってしまった。息子が念願のシード選手になったにも関わらず、当時の接し方を否定する父親の言葉は重たい。そして次回新シリーズからは、過干渉すぎる親子のケースによって生まれた歪みについて考えていく……。
語り手/小浦和也
1993年生まれ。専修大学のときナショナルチーム入りし、2年連続で「日本オープン」のローアマになるなど輝かしい実績を挙げ2014年プロ転向。2023年に初シード権を獲得した。
聞き手/ゴルフダイジェスト・ヤマダ
ジュニア担当として全国の選手と親御さんに取材を続ける。自身も8歳から競技ゴルフをしてきた元ジュニアゴルファーで1児の父。
※この記事は、週刊ゴルフダイジェストの「ありがとうの闇」を再構成したものです