1971年全米オープンでの出来事
1934年、1950年、1971年、1981年、2013年の計5度の全米オープンを開催しているメリオンGC
1971年全米オープンは米国東部ペンシルバニア州にあるメリオンGCで行われた。余談だが、2025年の全米オープンの会場は同じくペンシルバニア州のオークモントCC。同じペンシルバニア州だが、メリオンGCは東端、オークモントCCは西端なので、車で約5時間もかかる。アメリカがいかに広大かがわかるだろう。
さて、メリオンGCで思い出すのは1950年の大会だ。交通事故で瀕死の重傷を負ったベン・ホーガンが、最終日最終ホール18番の2打目を1番アイアンで打ち、見事2オンに成功。このホールをパーとして勝負は翌日のプレーオフとなった。
1953年、全米オープン優勝時のベン・ホーガン
プレーオフにはジョージ・ファジオとロイド・マングラムとの3人によって争われ、ファジオは75と出遅れ、マングラムは73とスコアを伸ばせなかった。ホーガンは前日からの好調を堅持して69で回り優勝を果たした。ホーガンは48年、51年の全米オープンにも勝利したが、50年大会は大怪我から復帰した記念すべき大会になり、多くのゴルフファンから「奇跡の復帰」、そして「鉄人」と称えられた試合だった。愛想が悪く人気のないホーガンだったが、優勝した以降は穏やかになり人気は高まっていった。瀕死の重傷から見事復活し優勝を果たしたというアメリカ人好みのサクセスストーリーだったからだ。

(左:ジャック・ニクラス/右:リー・トレビノ)トレビノは全米オープン、カナディアンオープン、全英オープンを同一年に制覇し、「トリプルクラウン」と呼ばれる偉業を達成した
1971年はその舞台と同じメリオンGCでジャック・ニクラスと陽気なメキシカン、リー・トレビノの一騎打ちとなった。試合は3日目を終了した時点で、首位にジム・シモンズ、2打差にニクラス、さらに2打差でトレビノがいた。最終日、トレビノは69とし、ニクラスは71で同スコアになり、勝負は月曜日のプレーオフに持ち越された。
時間通りに1番ティーイングエリアに現れたのは真面目といえるニクラスだった。だが、トレビノはなかなか現れなく、ニクラスも関係者もギャラリーもそわそわし始めたとき、トレビノは悠然と姿を現した。
多くの人が緊張していたが、トレビノはドライバーを受け取ると素振りを繰り返し、キャディバッグから手袋やボールを取り出すと同時にバッグに隠していた蛇のオモチャをニクラス目がけて放り投げた。多くのギャラリーは驚いたが、オモチャの蛇だと分かると大爆笑となった。だが、蛇が大嫌いなニクラスはこの行動ですっかり落ち着きを失ってしまった。
トレビノは、ニクラスの蛇嫌いを知っていたことから、前日の競技終了後に動物園のギフトショップでオモチャの蛇を購入していた。勝負は決まったようなものだった。
ニクラスは2番ホールでバンカーに入れてしまい、次打もミスしてグリーン手前のバンカーに入れてボギー。3番ホールは2人ともバンカーに入れたが、トレビノはピンから70センチにつけ、ニクラスはバンカーから出せずにダブルボギーとしてしまった。ニクラスはスタートから僅か3ホールで3オーバー。
大詰めの17番ホールは224ヤードの長いパー3。1打で乗せたトレビノに対してニクラスはグリーン右のバンカーに入れてしまい、脱出できたが入らずボギーとしてしまった。
プレーオフはトレビノの勝利で終わったが、スタート前、ニクラスに蛇を投げたトレビノの作戦勝ちだったのは明らかだ。戦い終わってトレビノは「今日は、オレ様の日だったということだよ」とひと言。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中