「週刊ゴルフダイジェスト」や「みんなのゴルフダイジェスト」で障害者ゴルフの取材記事を執筆してきたベテラン編集者が、日本だけでなく世界にアンテナを巡らせ、障害者ゴルフのさまざまな情報を紹介する連載。今回は、東京デフリンピックの運営に奔走した日本人SLOのお話です。

昨年11月に開催された耳がきこえない、きこえにくいアスリートのための国際大会「東京2025デフリンピック」。本コラムでは7回にわたり、さまざまな方のお話を紹介してきましたが、最終回では、本大会のゴルフ競技開催に必要不可欠の存在だった、ゴルフ競技SLO(スポーツ・リエゾン・オフィサー)を務めた成島康之さんに話を聞きました。

「子どもの頃から大好きなゴルフ。今でも唯一の趣味です。まず、それに仕事として関われたことがすごく嬉しかった。都庁職員としてゴルフの仕事ができると思っていなかったですし。これまでゴルフにはいろいろなことを教わってきたので、恩返しの気持ちを込めて携わることができました」

この“ゴルフ愛”こそが、イベントを支えたのです。現在56歳の成島さんは、小5のとき、空き地などで遊びながらゴルフを始めたそうです。徐々にゴルフ熱は増し、社会人になってもやめることなく続け、クラブ対抗競技の選手だったこともあるとか。現在は我孫子GC、日光CCのメンバーで、昨年日光で開催された日本オープンではボランティアで最終組最終日のボードを持って歩いたそうです。

成島さんは、東日本大震災後からスポーツ関係の業務をすることが多くなり、東京マラソンの担当や、東京オリンピック・パラリンピックでも開会式や聖火リレーの担当をしてきました。そうして今回のデフリンピックでは、その経験と知識を買われてゴルフ競技のメイン担当者に抜擢されたのです。

「デフリンピックには世界デフゴルフ連盟は関わっておらず、ICSD(国際ろう者スポーツ委員会)がすべてを仕切っており、日本の組織委員会と一緒にトーナメントを作っていきました。各競技にスポーツディレクターがいますが、ギャビン(・バルハリー)がゴルフ競技の担当。彼は昔、バレーボールの選手としてデフリンピックに出たこともあり、趣味がゴルフ。『俺は飛ぶぞ、ハンディは11』と。ただ彼は1度しか来日できなかったので、僕が中心に基本を考え、要所ごと同意を取りながら進めていきました」

画像: ケニアチームからのプレゼントを持つ成島康之さん。HCは3をキープしてきたが「今は7から11を行ったり来たり」。ゴルフ愛とリーダーシップを発揮し大会を引っ張った。「ゴルフは今も大好きです。楽しい仕事でした」

ケニアチームからのプレゼントを持つ成島康之さん。HCは3をキープしてきたが「今は7から11を行ったり来たり」。ゴルフ愛とリーダーシップを発揮し大会を引っ張った。「ゴルフは今も大好きです。楽しい仕事でした」

メルボルン在住のギャビン氏はろう者ですが、大企業で部下を何人も持つビジネスマンでもあり、厳しい交渉も論理的に行ったそうです。また日本の運営企業、各団体との調整なども行うなかで、成島さんの豊富なゴルフ&ゴルフ競技の経験が役立ったのです。OBラインや男女別のティーグラウンドの設定、ピンポジションを決める際にも、成島さんの主導のもと調整していきました。

「過去2回大会は、ゴルフがあまり盛んではない国(トルコ、ブラジル)で行われ、情報はほぼありませんでした。ギャラリーの動線やローピングなども手探りでした。ギャビンとは意見がぶつかることもよくありましたけど、国際交渉には慣れていましたから……」

当初はコースにまったく観客を入れないという意見もあったそうですが、さまざまな交渉の末、家族や選手団はコース内OK、1番と10番のティーグラウンド、9番と18番のグリーン周りは一般の方も見られるようにローピングしました。中継も経験豊富なスタッフを配置し、YouTubeなどで選手たちの動きを生き生きと見られるようにしました。

「一番懸念したことはプレーのペース。世界の潮流としてもプレー時間は重要。テクニカルレギュレーションに4時間30分というプレーペースを入れました。1日目は時間が押したので、このままでは表彰がある日には日没と重なると考え、2日目からは、前と間隔が空いた組には旗で示す方法を使って警告を出しました」

こうして、大会は大盛況のうちに終了したのです。

「ICSDの上の方も『サンキュー』と言ってハグしてきました。観客も予想より多かったですし、認知度も上がりましたし(東京都の調査では1年前は39%だったものが、73.1%に)、すごく効果はありました。これが、ろう者の文化を伝えるきっかけにもなります。共生社会づくりは行政の大テーマで、そこにかなり貢献できたと思います」

画像: 競技に精通している手話通訳の必要性は、やはり感じたという。「国際手話ができる人はごく一部で、競技の専門用語を知らなくても仕事を任せられるんです。でも皆さん一生懸命頑張ってくれてすごく助かりました」

競技に精通している手話通訳の必要性は、やはり感じたという。「国際手話ができる人はごく一部で、競技の専門用語を知らなくても仕事を任せられるんです。でも皆さん一生懸命頑張ってくれてすごく助かりました」

デフリンピックは確かに「共生社会づくり」へのきっかけとなりました。

さて、成島さんが感じた大会の課題を聞きました。

「レベルが高い選手はたくさんいました。一方、ルールを理解していないような選手が一定数出ていたのは事実。同じ大会で一緒に戦うことに関して、率直にモヤモヤした感じはしましたね。理想はオリンピック・パラリンピックと同じようにハイレベルの選手を集めたいのかもしれない。しかし、大会翌日のデフリーフィングでも、レジャーかと思われるような発言もありました。ハーフが終わったら昼食を取りたいとか4日間連続は疲れるとか。なかなかトップ競技と同じ目線では考えていないように感じました」

ただ、世界の多様な国の多様な選手がいるからこその交流も魅力的に感じられたと言います。

「南アフリカには黒人選手もいましたが、彼が競技終了後、『ゴルフを通してもまだまだ差別がたくさんある。でも今回参加してすごく楽しかったし、僕もゴルフを続けていこうと思うし、差別などにも屈しないでいきたい』と話してくれました。またケニアの選手からは『ぜひケニアに来てくれ』と、フランスの選手からは『フランスに来たら連絡をくれ』と、いろいろな方に囲まれて、すごく嬉しかったですね。次回大会はアテネ。ギリシャもあまりゴルフは盛んではない国です。そういう国でトーナメント運営がどれくらいできるのか懸念はありますが、今大会をベンチマークとしてつなげてもらえるといいなあと思います」

成島さんご自身も、ゴルフは共生社会に親和性が高い競技だと感じているそうです。

「ゴルフは身体的なハンディキャップだけではなく、年齢や国籍などの視点でも『一緒にできる』もの。もちろん、まだ多くのハードルはありますが、本大会をきっかけにさまざまな“議論”が進んでいけばいいと考えています。行政がきっかけづくりをして、それが企業に、そして産業として広がっていけばいい。それが行政の役割だとも思っています」

画像: 「デフゴルファーは、基本的に手話を使っているというだけで、プレーは何ら健聴者と変わりません」(成島)。誰でも、誰とでもゴルフを楽しむ。この姿勢こそ、デフリンピックから学んだものだ

「デフゴルファーは、基本的に手話を使っているというだけで、プレーは何ら健聴者と変わりません」(成島)。誰でも、誰とでもゴルフを楽しむ。この姿勢こそ、デフリンピックから学んだものだ

各人がその社会の一員であることを自覚し、自分のできること、役割を明確に考え、そして、最後は“愛”で動く。そこに真の共生社会は生まれるのかもしれません。(おわり)

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