
ハワイアンオープンで青木功がチップインイーグル(1983年)
吉田氏は1946年千葉県生まれ。1969年に中央大学を卒業し同局へ入社。以来、プロ野球、ゴルフを中心にスポーツシーンの実況を担当。そのスタイルは自分の感情を素直に吐露し、時にはマイクの音が割れるほどの熱狂ぶりだった。
当時、日テレといえば巨人、本人も「大の巨人ファン」を自任し、巨人戦での実況で多くの“名文句”を遺している。
1994年、長嶋監督率いる巨人が日本一に輝いた瞬間には「全員野球の長嶋ファミリーは見事、天下を取りました」と興奮を伝えた。また、実況だけでなく司会者としての実績も残している。2001年、長嶋監督が勇退を発表した記者会見では代表質問を務め「野球というスポーツは人生そのものです」の名言を引き出した。
こう書いていくとプロ野球中継だけと思われそうだが、実は吉田氏の仕事はゴルフ中継のほうが多かった。男子ツアーの掉尾を飾る国内メジャーの日本シリーズや、日テレが放映するゴルフ中継の多くを担当している。なかでも1983年、ハワイアンオープンでのそれは語り草。青木功が米ツアー初優勝、それも最終日18番ホール、残り128ヤードの第3打を直接カップインさせるという劇的な逆転勝利だった。優勝を確信し、アテストをしていたジャック・レナーの顔がアップ。逆転優勝のエモーショナルな興奮と、敗者、勝負の非情さをも吉田氏は余すところなく伝えたのだった。
ゴルフは氏自身、終生の趣味であった。あるコースの会員でもあったが、そこでHC8を得ている。
「大学時代、片手シングルだった父親から、1年間は練習しなさい、ラウンドはそれからだと言われ、実行したのでハーフ60は叩いたことないと言っていました」と紀子夫人。
当方も知人の紹介で吉田氏とラウンド、19番ホールも何度かご一緒させていただいた。青木功を見て学んだというランニングアプローチの巧みさはプロ並み。青木は6番アイアンだったが、吉田氏は9番で「距離の半分を上げてあとは転がす」と伝授された。
酒席も大好きで、京王線下高井戸の焼き鳥屋で知人と3人でよく待ち合わせした。よく食べてよく飲み談論風発、よく笑い合ったものだ。
2020年に脳梗塞で倒れられてからは、福島県いわき市の別荘が本宅となった。「ゴルフができなくなったから本を送ってくれ」と頼まれ小誌(週刊ゴルフダイジェスト)を贈呈。本欄記事に感想をいただいたりもした。
野球ではON、ゴルフではAONが躍動し、スポーツアナ冥利に尽きる幸福な時代だったといえる。
昭和20年代生まれの名物スポーツアナが人生の幕を下ろし、昭和はますます彼方に遠のく。 合掌 (特別編集委員 古川正則)
※週刊ゴルフダイジェスト2026年6月9日号「バック9」より
