内藤家の下屋敷から東大農学部のルーツ、そして皇室庭園へ

新宿御苑旧コース配置図
四季折々の移ろいが楽しめる新宿御苑は、都民憩いの公園として親しまれている。敷地は新宿区と渋谷区にまたがり、東京ドーム約12個分にあたる約58ヘクタールと広大だ。ちなみに1ヘクタールは3025坪だから、公園の広さは17万5450坪程になる。
この土地のルーツは江戸時代の1590年、高遠藩主・内藤清成が徳川家康から下屋敷の用地として拝領したものだ。明治に入った1872年、欧米の果樹や野菜の栽培、養蚕、牧畜などの研究を目的とした「内藤新宿試験場」が設立された。1874年には農事修学場が設置されたが、1877年に駒場へ移転し、これが現在の東京大学農学部や東京農工大学農学部へと発展していく。
その後、1879年に宮内省へ移管されて「新宿植物御苑」となり、1902~06年にかけて庭園として改修され、正式に皇室庭園となった。戦後の1949年には「国民公園 新宿御苑」として一般公開され、現在では65種1000本の桜、100種のバラ500株、300本の梅などが植えられている。
実はこの新宿御苑には、昭和天皇が皇太子であった時代に4ホール、後には9ホール(9H / 1763Y / P32、大谷光明設計)のゴルフ場が整備されていた。
1917年、森村市左衛門と西園寺八郎の間で「ゴルフは相手がどうであろうと、上手くても下手でも自分の球にベストをつくして打てばよいから、殿下にいい運動だと思う」という話が持ち上がった。そして、三好愛吉東宮伝育官の了承を得て、ニューヨーク在住の邦人に依頼して取り寄せたスラセンジャーのクラブ3セットが、5月19日に献上された。皇太子が16歳の時のことである。
仙石原ゴルフ場(富士屋ホテル仙石GC)開場当時のコース(※画像は富士屋ホテル 仙石ゴルフコースから引用)
クラブを手にした皇太子、秩父宮、高松宮は、さっそく東宮御所の芝地で練習を始められた。同年夏には箱根宮ノ下に滞在したことから、7ホールが完成したばかりの仙石原ゴルフ場(富士屋ホテル仙石GC/1917年開場/18H・6651Y・P72)へ来場してプレーを楽しみ、滞在中は毎週のように通われたという。
1921年の英国滞在中には、ロンドンの南・クロイドンにあるアディントンGC(1913年開場/18H・6300Y・P69/ジョン・F・アバークロンビー、ハリー・S・コルト設計)にて、名手ハリー・バードンらのエキシビジョンマッチを観戦している。
翌1922年になると、英国のプリンス・オブ・ウェールズ(後のエドワード8世)が来日。快晴となった4月19日(当初は14日の予定だったが雨天のため変更)、東京GC(駒沢コース)にて、皇太子と大谷光明のペア、プリンス・オブ・ウェールズと侍従のハルゼー海軍中将のペアによる9ホールの親善マッチプレーが行われた。勝負はウェールズ公側が1アップで勝利した。ちなみにこの時、皇太子のキャディは西園寺八郎の子息・公一が、ウェールズ公のキャディは高木喜寛の子息・秀寛が務めている。
こうした華麗なゴルフを通じた交流も、1937年以降の戦況悪化を受けて、事実上の中断を余儀なくされていった。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中。






