キャディの悲鳴から動き出したルール改正と「14本」の由来

1990年VISA太平洋クラブマスターズでの尾崎将司、キャディは片山晋呉
ゴルフのプレーでキャディバッグに入れることができるクラブの本数は14本以内と決まっている。このルールが正式に発効されたのは1800年代ではなく、1938年のことだった。長いゴルフの歴史から思えば、それほど昔の話ではない。
1800年代から1900年代初頭にかけてはクラブ本数の規則がなく、選手は必要と思えるクラブを好きなだけキャディに運ばせていた。荒ぶるリンクスでのプレーは当然ながら“あるがまま”が原則。そのため、さまざまな状況に対応できるよう、多種多様なクラブが考案された時代でもあった。
例えば、馬車の轍(わだち)に入ったボールを打つための「ラットアイアン」が考案された。ヘッドは非常に小ぶりで、細い溝からボールを拾い出しやすい形状をしていた。
目まぐるしく変化するリンクスの天候に対応するクラブもあった。水たまりに入ったボールを打つためのクラブは、水はけが良くなるように畑仕事に使う鋤(すき)のような形状をしており、なかにはフェースの真ん中に穴が開いているものまであった。
複雑なリンクスの地形や天候を克服するためとはいえ、ゴルファーによってはどんな状況でもベストなショットができるようにと、30本以上ものクラブをキャディに運ばせていたのである。

昔のクラブ
キャディバッグが考案される以前、キャディはそれらのクラブを直接脇に抱えて運ばなければならなかった。いくら“あるがまま”でプレーするためとはいえ、その姿は滑稽であり、1打ごとにクラブを選択するのにも無駄な時間がかかっていた。
全英オープンで6度の優勝を飾った名手ハリー・バードンは、ヒッコリーシャフトの時代、わずか6本のクラブしか帯同していなかったと言われている。だが時代が進み、シャフトがヒッコリーからスチールへ変化すると、ロフト角によって細かく距離を打ち分けるようになり、必然的にクラブの本数も増えていった。
1859年の全英アマに出場したジラードは、2つの樽に55本ものクラブを入れて持ち込んだとされる。また、1934年から2年連続で全英アマ・全米アマのW冠(ダブルグランドスラム)を達成したアメリカのローソン・リトルは、ウッド5本、アイアン8本に加え、左用のクラブ8本を含めた計31本ものクラブをキャディに運ばせていたという。
当然ながら、過重の負荷を強いられるキャディたちから強い苦情が持ち上がった。英国ゴルフ協会(R&A)はこの訴えを真剣に受け止め、帯同できるクラブの本数制限について議論を始めることとなった。

若き頃のボビー・ジョーンズ
1936年、アマチュア最高峰の対抗戦「ウォーカーカップ」の場で、R&Aの役員であったトニー・トーランスがボビー・ジョーンズにこう尋ねた。「あなたがグランドスラムを達成したとき、クラブは何本入れていたかね?」。ジョーンズが「16本です」と答えると、今度はジョーンズが「あなたはキャディバッグに何本入れていますか?」と聞き返した。トーランスが「12本だ」と答えたことから、「では、その中間を取って14本が良いのではないか」という話になったという。
トーランスはこの対話をR&Aに持ち帰り、ルール委員長のロバート・ハリスらと協議した結果、1938年1月1日より「持ち運びできるクラブの本数は14本以内」というルールが制定されたのである。
ただし、「14本」の由来にはもう一つの説も存在する。
「過剰なクラブ重量からキャディを守る」という目的は同じだが、当初R&Aが検討したのは「1ダース(12本)+パター1本」の計13本だったという説だ。しかし、「13」という数字は西洋において不吉とされるため、さらに1本追加して「14本」に落ち着いたというものだ。
「13」に関する有力な説!※情報は編集部調べ
イエス・キリストと12人の弟子が一堂に会した「最後の晩餐」の参加者は計13人。この宴でイエスを裏切った弟子ユダ(イスカリオテのユダ)が「13番目に席に着いた人物」と伝承されているという説。13という数字は「裏切り・不幸・死」を想起させる不吉な数とされているそうだ。
自分がゴルフを始めた1971年頃、東京・御徒町のゴルフショップにはドライバーとスプーン、そして奇数番手だけのアイアンセット(いわゆるハーフセット)が多く売られていた。「初心者はこれで十分。上手くなったらフルセットを買えばいい」と先輩に教わったのを覚えている。
現在の私のセッティングは、7番・8番・9番アイアンとPW、PS、SW程度だ。それでも7番アイアンを使う機会はそれほど多くない。現代のゴルフでも、ハーフセット程度の本数があれば十分にプレーを楽しめるのではないだろうか。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中。





