病魔との闘いと、叶わなかった最期の願い
訃報を聞いたのは、「2026 ゴルフダイジェスト・ジャパンジュニアカップ」が開催される直前でした。
日本初の聴覚障害を持つティーチングプロ、佐藤裕児プロが、7月31日に永眠されたと実兄・康孝さんから連絡があったのです。
「昨年の今頃、首に違和感があり腫瘍が見つかったのです。でも、12月にはジュニアチームの大会(PGAのジュニアリーグ)があったので、そこには薬で痛みを抑えて参加しました」(兄・康孝さん・以下同)
佐藤プロがコーチを務めるチーム、バナナキッズαは神奈川ディビジョンで優勝。しかし、全国のチャンピオンシップ大会の準決勝で惜しくも千葉ディビジョンのチームに敗れました。
「試合後に摘出手術をしました。実は、25年前も同様の腫瘍を摘出しそのときは良性だったのですが、今回は悪性で。そこから放射線治療を2カ月で35回行ったのですが、病院まで片道1時間以上かかるにもかかわらず自分で車を運転して通院していました。家族と一緒に住んでいたいという思いが強かったのです」

2018年、ジップゴルフアリーナにて取材。いつも笑顔でレッスン活動にも精力的だった。「僕の先生は生徒さん。教えることで自分の悪い部分も見えてくる」
何より家族を大切にし、家族に力をもらいながらゴルフを続けてきた佐藤プロらしい話です。
「そのうちまた首に違和感が生まれたため、国立がん研究センターで遺伝子検査をしたところ『原発不明のがん肉腫』だと分かりました。効果的な抗がん剤がないということで緩和ケアを勧められ……ものすごい衝撃を受けたことを今でも覚えています」
味覚障害で食欲も落ち、88㎏あった体重は68㎏になった。
「『ちょうどいいじゃん』なんて言っていたんですよ。でも、体力もですが、やはり気持ちが落ちていたと思います。ずっと週2回行ってきたレッスン活動は、放射線治療後に週1回に減らして復帰しましたが、だんだん痛みのコントロールができなくなり4月の半ばにはやめていました。仕事ができなくなったことも辛かったと思います。そんな状況でも、愛息子、大雅の試合(8月5日のGDジュニアカップ12~14歳の部選考会A大会)を東名CCに見に行くことを願っていたんです」

コミュニケーションの手段は発声訓練で身につけた“口語”、手話、筆談。その明るさと情熱で、多くの生徒から慕われた
全ろうのハンディを越えて掴んだプロの道
佐藤裕児プロは、1969年に神奈川県横浜市で生まれ、生後間もなく完全に聴力を失いました。
幼い頃から運動能力が優れていて、さまざまなスポーツをして育ちますが、コミュニケーションが重要な団体スポーツには限界を感じていたと言います。そんなときにゴルフに出合うのです。
その意志の強さも生まれながらのものなのでしょう。何事に対しても、自分で考え決断し、情熱を持ってぶつかっていきます。
ろう学校ではなく、健常者と一緒に、同じように学ぶことを選び、神奈川県立希望ヶ丘高校の定時制へ進学、インクルーシブな社会の体現者となっていたことがわかります。その考え方にゴルフというスポーツもマッチしたのではないでしょうか。

手書きの“ヤーデージブック”。いろいろなコースのものがある。その筆致からも、ゴルフへのほとばしる情熱を感じる
19歳でゴルフを始めると、「最初からすごい当たりでした」(康孝さん)。すぐに90台のスコアを出し、プロゴルファーになることが大きな夢となりました。
高校卒業後は、当時の成田スプリングスCC(現・成田東カントリークラブ)の研修生となります。そこで同期の研修生だった小達敏昭プロと出会いました。小達プロは生涯にわたり、佐藤プロにとって良き理解者であり、目標であり続けました。
しかし、厳しい研修生生活は1年で挫折し、一度は別の職に就きます。それでも1993年、23歳の時に小達プロが「ヨネックスオープン広島」でツアー初優勝を飾る姿をテレビで見て深く感動し、再びゴルフの道を志すのです。
翌94年、全日本ゴルフ練習場連盟(JGRA)のアシスタントプロにトップ合格。99年には全ろうのハンディを抱えながら日本プロゴルフ協会(PGA)の資格認定プロテストを受験し、2006年、見事にPGAティーチングプロテストに合格を果たしました。
その後は町田市のジップゴルフアリーナでレッスン活動を行いながら、ツアー出場を目指してQT(クォリファイングトーナメント)にも挑戦し続けました。なかなか思うような結果が出ない中、妻・真理子さんと出会って結婚し、長男・大雅くんが誕生します。
温かい家族を得て、より前向きになった佐藤プロは、さらに精力的にゴルフに打ち込み、聴覚障害者へのゴルフレッスン活動にも尽力していきました。50歳を迎えてからはシニアツアーへ挑戦し、直近でもQTファイナルへ進出していたそうです。プロゴルファー人生の夢に向かって「これから」という時に、非情にも病魔が襲いかかったのです。
受け継がれる遺志と、真夏の舞台で見せた息子の成長
「お別れの会」の出棺時、妻・真理子さんは挨拶の中で、夫がどれほど家族を愛してくれたか、世間の想像以上に自分が彼に助けられていたこと、そして息子にゴルフを通じて「正直であること」や「挑戦する心」を伝えてきたこと、息子の成長を見守ることを誰よりも楽しみにしていたこと……を、声を震わせながら語りました。

お別れの会で展示された思い出の品。ウェアやクラブ、記事、写真などのなかでプロ資格免状が輝いていた。縁のあった中島常幸プロ、小達敏昭プロも訪れた
忘れ形見となった大雅くんもまた、気丈に前を向いていました。
いつも明るかった父の面影を残しながら、父が訪れるはずだった大会(GDジュニアカップ)に出場した感想を、しっかりと自分の言葉で語ってくれました。
「ちょっと気持ち的に不安定な時もあったんですけど、とりあえずやり切ったという感じがします。そして、とにかく暑かったです」

ゴルフダイジェストジュニアカップに出場した大雅くん(中2)。無事完走はしたものの予選は通過できず。お父さんに似ています
そしてこの大会の最中、亡き父の姿を感じたというのです。
(後編につづく)
写真/Yoshikazu Watabe、小誌写真室


