今年で24回目を迎えた岩手県オープンの大会主催者であり、実業家へと転身した異色のプロゴルファー金谷嶺孝。今回は金谷が学生時代から憧れ続け、精神的な師匠と仰ぐツアープロの深堀圭一郎と、ゴルフの哲学、そしてお互いの人生のバックナインをかけた「逆算のゴルフ人生」について語り合う。【全2回・後編】
画像: 2010年岩手県オープンで優勝した深堀圭一郎プロと大会を主催する金谷嶺孝社長

2010年岩手県オープンで優勝した深堀圭一郎プロと大会を主催する金谷嶺孝社長

明治大学での出会いと、タイガー・ウッズが教えてくれた「練習の意義」

画像: 57歳の深堀に56歳の金谷がインタビュー

57歳の深堀に56歳の金谷がインタビュー

金谷 深堀プロ、お久しぶりです。私の人生のストーリーの基礎を作ってくださった深堀プロに、いろいろとお話を伺いたいと思います。まず、私たちの共通のルーツである明治大学時代についてお聞きします。当時はプロとして一番上を目指すために強豪の日本大学に行く選択肢もあったなか、あえて明治大学を選び、そこできちんと授業に出て卒業されたことの意味を今どう捉えていますか。

深堀 同世代の丸山茂樹や川岸良兼さんとか、その世代をリードするプレーヤーがいるなかで、どの道に行くことが自分らしく、その先の社会に出てゴルファーとして深堀圭一郎という可能性を広げられるかということを考えた時に、僕の選択は明治大学だった。自分なりの色と個性を見つけていったというのが僕のスタイルでした。それを見ていた金谷も同じような選択だったと思う。当たり前の話だけど、僕ら大学に入ってちゃんと大学を卒業しているんですよ。それも学校から卒業証書をもらったんじゃなくて、ちゃんと授業にも出た。せっかくいい大学に行ったんだからしっかり卒業証書をもらって、そこで教わったものと人間関係というものを次の財産に生かそうという根底があるからね。学生時代に経験をしたことがプラスに働くことがきっとあると思うんですよね。そういう1つ1つが、僕らのスタイルを作っていった1つじゃないかな。

金谷 先輩がもし卒業していなかったら、僕もただ4年間大学にいただけかもしれません(笑)。先輩がすべてのモデルケースでした。あの時に僕が覚えているのは「やっぱり卒業したほうがよい」と言ってくれた先輩の言葉です。卒業するのに5年かかりましたけど、学業を諦めずに卒業した経験や、そこで生まれた人間関係こそが、その後の人生を支える基盤となっています。明治大学といえば、1999年にタイガー・ウッズが来日した際、シークレットで大学の練習場まで来て、学生たちに直接指導してくれた驚くような素晴らしい縁もありましたね。

深堀 僕は以前ナイキゴルフと契約していました。ナイキのイベントの合間に時間ができたタイガーが「何やろうかな」となった時に、我々の縁で日大や伝統校という選択じゃなくて、あえて明治を選んでもらいました。その時タイガーは、練習をする時にターゲットを決めて打っているか、と学生たちに聞いたんだよね。そしてショット練習では、反対のことをしてバランスよく練習を行うことが大事だと教えて、高いドロー、低いフェードとコントロールして打ち分ける課題を出した。学生たちがうまく打てて「ナイスです。これでやっと練習する意義が出てきましたね」と微笑んだ。単調に打つだけではコースに出たときに使えない。コースに出たときのようにスライスやフック、高い弾道、低い弾道とコントロールして練習する必要がある。これはまさに、金谷が言う「逆算」の重要性を、ゴルフの練習という現場でタイガーが体現した素晴らしい出来事でした。

──次ページでは、57歳を迎えた深堀圭一郎のリアルな身体の葛藤と、実業家・金谷の驚きの「競技復帰宣言」に迫る。


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