【目指せゴルフの雑学王】井上誠一と日光の自然と錯覚の合作
「栃木県には那須GCがあるが、東京人が造ったゴルフ場だ。栃木県人による栃木のゴルフ場が必要だ」という意地っ張りから生まれたのが日光カンツリー倶楽部です。
戦後最初の民選知事・小平重吉は、「世界に名を知られた日光に、観光施設としてのゴルフ場を造る」が政策目標の一つでした。昭和28年(1953年)7月の発起人会には、島田恭平は相模CC理事長を辞め、杉田寧は我孫子のキャプテンを辞めて日光CC理事長、キャプテンとなる熱の入れようだったそうです。
発起人には知事、副知事、日光町、今市町、金谷ホテル、鬼怒川館。株主には東照宮、輪王寺、二荒山神社まで駆けつけました。そして席上、県当局は第一次資金と用地...