本誌11月号で取り上げた「南千住砂場」。「藪」「更科」とともに江戸三大蕎麦のひとつとされその起源は江戸時代にさかのぼります。大坂城築城の際に、砂が積まれた資材置き場の近くで麺類の商いを始めたのがその起こり。
その資材置き場の付近に「いづみ屋」と「津の国屋」という2件の蕎麦屋がありその蕎麦屋をいつしか「砂場」と呼ぶようになったのだとか。江戸時代の書物の挿絵に「砂場いづみや」の文字が見えます。
その「いづみ屋」が、徳川家康が江戸に幕府を開くと同じくして江戸麹町に店舗を移転、「砂場」として江戸の人々に評価を得て以来暖簾が続いてきました。大正元年、麹町の砂場が南千住に移転し「南千住砂場」としてこんにちに至っています。
砂場の蕎麦は以下のような特徴を持っています。
白い→・蕎麦の実の中央に近い部分を使っているため 蕎麦の風味だけを上品に味わえる ・ 黒っぽい田舎蕎麦は実の外の部分も使い ・ 蕎麦の持つ味をすべて楽しめるという違いがある
細い→・さっと食べられるように細切りで提供
コシがある→細いのにもかかわらずコシがあるのが人気。 見た目以上にしっかりしている
・つなぎは生卵と水のみ→”ふのり”は使わずにつないでいく
・汁の味は中庸→藪は辛く、更科は甘い。その中庸が砂場
この伝統を守り続けているのが14代目の長岡孝嗣さん。この南千住砂場の店舗には、ある工夫が・・・厨房と店内をつなぐ勝手口の高さがかなり低いんです。
これは、お客さんの前に出るときには必ず頭を下げる、という先代の考えで生まれたもの。
名店であっても暖簾の名前に奢らず、お客さんひとりひとりのためにお蕎麦を丁寧に作っているんです。
虎ノ門大坂屋砂場
麹町の砂場から暖簾分けをされたひとつがこの「虎ノ門砂場」。砂場直系の白くて細い蕎麦のほかに、いくつかの人気メニューがあります。これは、いわゆる>田舎蕎麦。
こちらは砂場の白い蕎麦です。
他には季節によって「変わり蕎麦」もあります。こちらは初秋のみょうが蕎麦。
初代女将よそお婆さんの時代、武士の階級であったが、身分制度崩壊から木下家の一部を借りて明治5年(1872年)、「虎の門大坂屋砂場」として現在の地に店を構えたそうです。創業当初、幕末、明治の剣術家の山岡鉄舟らにひいきにされ、家宝の書も残されているんです。
明治35年から戦争をもくぐり抜けた建物は、20年前に道路拡張のため店舗移転の要請もありましたが先祖から引き継いだ店を次の世代にも渡したく、建物を取り壊さずにそのまま2メートル後方へ移動させることを決めました。
半年ほど愛宕通りの道路拡張工事と耐震工事のために仮店舗で営業していましたが、7年前に現在地で営業を再開。現代的に整備された交差点の角にたたずむ
明治時代の建物が面白いこの虎ノ門砂場、お近くにお越しの際はぜひ!
宝町砂場
日本橋に風情あふれる店舗を構えるのがこの「宝町砂場」です。なんでも、一番粉を卵でつなぐ「ざる」と主に二番粉を使って打つ「もり」をはっきり区別したのは
このお店が始まりなんだとか。せいろに海苔がかかっているかどうか、じゃなかったんですね!
そして、天ぷらとお蕎麦を一緒に供する「天ざる」もこのお店の発祥。温かい汁で頂くお蕎麦と天ぷらは格別です。この汁も、千葉の醤油がいいので出汁は鰹節のみ。江戸の味を今に伝える出来栄えでした。
こちらは、茶色い蕎麦を使う「天もり」です。蕎麦の風味をそのまま味わえる逸品で、もりかざるかは甲乙つけがたいところ。
昭和30年代の宝町砂場、従業員がまかないで食べていた蕎麦に天かすを入れてみたのが「天ざる(もり)」の始まりで、予想以上に美味しいかったため商品としたのだとか。
ちょっとうんちくを仕入れて「砂場巡り」なんて、粋じゃないですか!?
写真/三木崇徳、野村知也