3日目を終わって尾崎が首位に立った。スコアは8アンダー。2位は川岸良兼の5アンダー、3位は中嶋の4アンダー。この3人が最終日の最終組である。

空は晴れていたが、風が吹いていた。北北西の風3.1メートルと気象台は発表していた。その程度かと思わせたが、コース内のポプラは枝をざわつかせ、ギンドロが葉裏を返して白く光っていた。3メートルの風速というのはどの程度ボールに影響するのだろうか。11時がティオフの時間であ る。やがて尾崎組のティオフの時間になった。

尾崎は左、川岸は右の、中嶋は右のラフに第1打がつかまる。第2打は尾崎がショート、川岸はピン手前に2オ ン、中嶋はグリーン右奥のカラーだった。3人ともパーで通過したが、尾崎がもっとも心配されるパーだった。アプローチがピン左2メートル 近くにしか寄らない。遠目でラインまでわからなかったが距離は入れごろ外しごろに見えた。それをいわゆる“ソリッドコンタクト”で、微塵の狂いもないインパクトをして入れる。気合十分、自信満々のタッチに見えた。

2番(370 ヤード)はアウトでもっとも短いパー4である。尾崎は胸を張るフィニッシュでフェアウェイへ飛ばす。そこからピン4メートルほどへ乗せ、 今度は少しばかりフォロースルーを出す打ち方をして入れる。9アンダーになる。川岸はウェッジのスリークォーター・ショットをグリーン オーバーさせ、そこからの寄せもワンピンほど強く打ちすぎ、ボギー。4アンダーになる。中嶋は端目には無難にパーで収めたかに見えた。

ところが、試合後の談話によるとこのホールの第2打が間接的な勝因になっていたことを示唆していた。

「ティショッ トをフェアウェイに飛ばしたのに行ってみたらライが沈んでいた。今日も運がないのかなと思った。仕方ない。ジャンボがいくらスコアを伸ばしても、自分は自分のゴルフをしよう。人見てプレーするんじゃないよ、コースと戦うんだよ、と、沈んだライを見て気分転換した」

尾崎は独走態 勢にはいるようなバーディを獲り、中嶋はお行儀のようパーで攻め、川岸は気の抜けた炭酸水のようなボギーを出した。仕手はどうみても尾崎だった。中嶋は脇である。川岸は黒子か。

通算スコアは 尾崎が9、中嶋が4、川岸が3アンダーである。6番パー5で中嶋が4メートルほどのパットを入れてバーディを獲った。尾崎のバーディパットはもっと短かった。それを外した。両者の差は4つ。数字の上ではまだまだ尾崎に余裕があったはずだった。

7番(185 ヤード)で尾崎がボギーを出した。9番(554ヤード)で中嶋がバーディを獲った。観戦子の頭の中ではまだ「尾崎3連覇」の筋書きがメインテーマになっていた。

尾崎が足踏みをし、中嶋がジワリと2打差に詰め寄り、川岸は3番のボギー以来まるで行司役に徹するかのように整然とパーを並べてインへターンした。

画像: ハーフターンを迎えた尾崎組。10Hには溢れんばかりのギャラリーが

ハーフターンを迎えた尾崎組。10Hには溢れんばかりのギャラリーが

12番 (191ヤード)へやってきた。風は左方向からのアゲンストだった。オナーの中嶋はその風の強さと方向を確かめる。いったんアドレスの仕 種をしてから、キャディを呼び寄せクラブを替える。逆風を突いてボールはピンに向かって一直線に飛んだ。

遠目には50センチぐらいにしか見えなかった。はっきりとバーディチャンスである。川岸は右のバンカーに入れた。尾崎も同じバンカーに入れた。そのバ ンカーショットを川岸はピン手前3メートルほどにショートさせ、そのあと尾崎はピンを3.5メートルほどオーバーさせる。

パットは尾崎から。スライスラインがカップ手前で右に流れて外れる。打ち切れていなかった。ボギー。つぎに川岸が入れる。パー。中嶋は「ソリッドコン タクト」で入れた。バーディ。これで尾崎と中島は7アンダーで並んだ。ここのバンカーの砂は尾崎に適ってないらしい。

(1991年1月、チョイスVol.60より)

画像: 小樽の砂に苦しめられた尾崎

小樽の砂に苦しめられた尾崎

その①の記事はこちら↓↓
1990年日本オープン(小樽CC)「誇りある敗者」その①

その②の記事はこちら↓↓
「誇りある敗者」その②“オザキ”という精巧な体が生み出した3日目の「68」

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