15番で中嶋と尾崎はともにティショットをヘビーラフに入れボギーにする。16番(521ヤード、パー5)でも中嶋は左の、尾崎は右のラフへティショットを打ち込む。「トラブル競演」の様相を呈してきた。セカンドショットも中嶋は左ラフ、尾崎は右の柏とポプラの林。第3打は中嶋がグリーン右へ外し、尾崎は左奥へ外す。第4打を尾崎はグリーン横断させ、5打目でやっと1メートルに寄せる。中嶋も4打目を1メートルに寄せる。5オン1パットのボギーと4オン1パットのパーである。
ラフからラフへ渡り歩きながらも、中嶋は精魂込めて“いい仕事”をしようとしているように思えた。尾崎の気は乗っても体のほうがいうことをきいてくれないようだった。「コースと戦う」はずのゴルフが、中嶋に並ばれたあとは急に「人が相手」のゴルフになった。
コースを相手に「ワンショット、ワンショット、自分の打ちたいショットをする」それを積み重ねることによって自ずと道は拓けるはずだったのに、中嶋のいいところでパットをいれられたり、アプローチを寄せられたり、会心のショットを見せつけられたりするうちに、精巧だったはずの「オザキ」というマシーンに歪みが生じてしまった。
歪みはまずパットに出た。6番で先に中嶋がバーディを決め、短い距離から尾崎は外した。そのあたりから「ソリッドコンタクト」が、焦点の絞り切れな いカメラのように少しずつピントがぼけていった。そうなると「ナカジマ」という道具がことのほか優れて見えてくる。また寄せたか。また入 れたか。体が勝手に相手のプレーに反応してしまうかのようだった。
尾崎が四重苦に苛まれ始めたのである。15番、16番でボギーを出したあと17番でも3パット、3連続ボギーである。ピンが右サイドに立っているにもかかわらず、乗った所は左サイドだった。20メートル近いパットが残った。登って下るフックラインだった。このパットも打ち切れなかっ た。2メートル近くショートした。それを外した。傍目にはインパクトが弛緩して見えた。打ったあとの尾崎の顔が苦しげに歪んだ。
この3パットで「日本オープン」3連覇の望みを断ち切れた。3パットは自滅行為だった。大きな獲物をあと数歩のところまで追い詰めながら逃した。「逃した」と覚った時のプレーヤーはどうのような心境になるのだろうか。数刻の間、そのままどこか別世界へ姿をくらましたくなるのではなかろうか。
尾崎はその顔を拭って18番をプレーした。
(1991年1月、チョイスVol.60より)
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1990年日本オープン(小樽CC)「誇りある敗者」その①
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