「4日間アンダーで行ける」――この思い入れ通り、青木の快進撃は続いた。ショットの安定性も“番狂わせ?”の要因だが、小技の冴えがバルタスロールという難コースに討ち勝っていた。2日目の13番からの6連続1パットが如実に物語っている。
13、14番と1メートル、5メートルを沈め16番では10メートルのアップヒルの、フックしてスライスするという難しいラインを読み切っている。グリーンを外し、ピンチに立たされた15番では8メートル、17番では4メートル、18番でも1メートルのパットを沈め、パーをキープ。まさに、“青木ゴルフ”のオンパレードである。
グリーンはガラスの様に速い。しかも、アンジュレーションが激しく、ラインが素直ではない。こんな「手に負えない」とワイスコフを嘆かせたグリーンを青木は手玉にとっていた。地元記者から「AOKIは3パットしたことがあるのか?」と質問されるほどだ。
2日目も68。通算4アンダーは2位タイだ。何もかも上手くいっている。大軍団の二クラス・アーミーも「自分の応援に来たギャラリー」と自己暗示をかければ、何の障害にもならない。ややもすると、熱気ともつかない異様な雰囲気に、自分のペースを失いがちになる。しかし、常に自分のリズム、タイミングに注意を払い、マイペースを心がけていた。
そこには、“帝王”ニクラスに一歩もひけをとらないスケールの大きい青木がいた。
「こうなったら4日間、ぜひともニクラスと回りたい」
もはや目つきが違う。国内では見たこともない、殺気さえ感じる鋭い眼。なにかにとりつかれたかのようだ。
こうなると“火事場のクソ力”ではないが、自分の能力以上に力が発揮される。練習ラウンドから2日目まで第2打でバッフィを使っていた1番(465ヤード)。3日目に青木は5番アイアンを手にした。ドライバーが前日より飛んでいたわけではない。残りは200ヤード近くある。5番で届く距離ではない。しかし、青木は迷うことなく、5番でショットした。これがピン奥にオンである。
3番(438ヤード)でも、いつものバッフィに変えて6番アイアンでオンさせた。あれほど多用し、自らも必要だと思っていたウッドクラブの使用回数が減った。初日7回、2日目6回、そしてこの3日目にはたった4回になっていた。
加えて「青木の小技は世界一だ」とワトソンに言わしめたアプローチとパットはそのフィーリングを失っていない。15、16番で3メートルを外して一瞬、崩れかかったものの、17番(630ヤード)でも13メートルのパットを沈め、すぐに立ち直る。3日目も68。3日間アンダーパーをマークしたのは青木功ただひとり。そしてニクラスとともに全米オープン史上、初の首位に躍り出ているではないか! 2日間10オーバーで予選通過だけを考えていた男が――。
●2日目 68ストローク(35・33)
●3日目 68ストローク(33・35)
1980年週刊ゴルフダイジェスト7月2日号