プレス・ルーム、特に日本人記者団はこの快挙に興奮気味だったが、青木は冷静に分析し、「どうしてどうしてここまでやれたかと聞かれれば、やっぱりパットが決まってくれたからだろう。この速いグリーンのタッチをつかんでいるからだ。でも、このコースは気が抜けない。いつ、どこで、何が起こるか分からない。勝ち負けは別問題。自分は精一杯やるだけだ。どこまでニクラスについていけるかがポイントだ。こうなったらとことん喰らいついてやる! そうすればチャンスがきっと出てくる」
あと一日にすべてを賭ける青木だ。

画像: 3日目までの青木はバルタスロールのグリーンを制圧した

3日目までの青木はバルタスロールのグリーンを制圧した

あと一日は、ムシ暑い不快を覚える朝で始まった。
最終組は午後2時35分のスタートだというのに、すでに12時には青木はコースに姿を現していた。

口数が前日までと比べ極端に減った。あれだけリラックスして「勝負は別」と言っていた男も“ここまでくれば何とか”といった欲が出てきたのだろうか。ピリピリしているのが手に取るように分かる。話しかけるのを躊躇するほどだ。練習グリーンでも、時折、一点を凝視したまま立ちつくす。何かを考えているふうでもなく、眉間にシワを寄せて凝視する。

3日目まで、なんとか感じなかった“全米オープンの重み”が、ようやく現実のものとなり青木の両肩にズシリのしかかる。周囲が大騒ぎすればするほど青木自身も考えてくる。

“この歴史あるオープンにオレは出場し、今トップに立っている。あと18ホールなんとかすれば、とんでもないことが起きるんだ”

やはり無欲といっても目の前にオープンチャンピオンの栄光がぶらさがっていれば、欲は出る。

画像: 3日目まで冴えわたっていたパットが、最終日に来て微妙に狂い始める

3日目まで冴えわたっていたパットが、最終日に来て微妙に狂い始める

これが、青木にとってバーディホールの2番でボギーという逆の結果になって表れた。いつものようにフェアウェイ中央のバンカー避けるために、スプーンでティショットをした。予定通りだ。5番アイアンのセカンドはピン右手前15メートルにオンしている。悪くてもパーはキープできるはずだった、3日目までの青木のパットなら。ところが、2メートルの返しを引っかけてしまった。56ホール目にして、初めて3パットである。

勢いが空転する。4番のティショットも左ラフに外し、スコアは崩れる。
やっと訪れた5番(388ヤード)のバーディチャンス。1.5メートルの下りのライン。なにしろ、ひとつでもバーディが獲れれば、気持ちは落ち着く。

だが、ダウンスローブが頭にこびりついていて、ボールにほんのちょっと触っただけ。ボールは弱々しくカップ右に止まった。いくら下りとはいえ、青木らしさがない。

画像: 最終日のフロントナインはボギーが先行する展開に

最終日のフロントナインはボギーが先行する展開に

“曲がる前に入れる気持ちでパットを打てればいいんだ”と常日頃、口にしていた思い切りの良さは、完全に姿を消していた。

7番もボギー。しかしこのボギーで、ようやく青木は我に返った。“何とかしてやろう”という気負いはが吹っ切れた。
「前半はやっぱりシビレていたんだろうな。スコアメイクしようという気持ちが逆の形になってしまったようだ」

1980年週刊ゴルフダイジェスト7月2日号

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