「最終日はやっぱりシビレていたんだろうな。スコアメイクしようという気持ちが、逆の形になってしまった」と試合後に語った青木。しかし、8番からは立ち直る。
「欲を言えばきりがないが、満足のゆくゴルフができたと思う」
確かに、よくやった。ギャラリーの99%は、熱狂的なファン。2年ぶりの復活を夢見て叫び散らす。“ゴー、ゴー、ジャック”“カミング、ジャック”“ジャック、バック”――。
孤立無援に等しい厳しい状況の中で、崩れかけた自分のゴルフをとり戻す。第三者にはとうてい理解できない精神力が必要だ。
17、18番と3日間同様バーディをもぎとり、72ホールを終わった。スコアは70。
優勝こそ“帝王”ジャック・ニクラスに譲ったものの、日本人初の2位。しかも、単独。4日間、遂にオーバーパーを記録しなかった。それだけでも十分評価に値する。
決して、2位はフロックではない。1日だけ、とてつもなくアンダーを出したわけでもなければ、上位陣が崩れて転がり込んだ2位でもない。初日から、自らの力を十二分に発揮してのランナーアップである。難コース・バルタスロールで4日間、これだけ安定したゴルフができたのは青木だけ。
つい先刻まで“ジャック、ジャック”と叫び続けたギャラリーも、暖かい拍手を送る。帝王ニクラスを72ホール苦しみ抜かせた日本からやってきたイサオ・アオキ。
「終わったとたん、頭がボーッとした。疲れは感じてない。むしろプレー中の方が疲れた。いまは何も言うことはない。ただ、ただ、ここまでやれて満足だ」
練習日から数えて、1週間でのべ14万人を越えた大ギャラリーにはもちろん、TVを通じてアメリカ全国民にその名を焼きつけた「ISAO・AOKI」。
4日間、72ホールをすべて共に歩き、闘った相手、ニクラスが呟いた。
「アオキは粘り強い男だ。素晴らしいプレーヤ―だ」
それは、敗者を讃える外交辞令ではなく、タフな戦場で闘い合ったスーパースター同士の“男の熱い共感”が言わせた、素直な言葉だったに違いない。
●最終日 70ストローク(37・33)
●TOTAL 274ストローク(6アンダーパー)
1980年 週刊ゴルフダイジェスト7月2日号