名器と呼ばれるクラブを比較する月刊ゴルフダイジェストで連載中の企画「ギア!名勝負」。第8回の今回は、主に1999年から2000年に、当時としては大型ドライバーとしてツアーで人気だったミズノ「300S」とツアーステージ「X500」をご紹介します。

なぜ300Sは飛ぶのか? メーカーは目の色を変えた

90年代、ミズノには中嶋常幸の他に、スターが多数いた。"元祖天才"の米山剛、"九州の神童"手嶋多一、"怪物"川岸良兼ら。川岸だけは勝ってはいたものの、期待に沿うものではなかった。

"天才少年"では、当時のブリヂストンも負けてはいなかった。丸山茂樹や伊沢利光、細川和彦がいた。プロ入り後の実績ではミズノ勢をリードしていたのだ。

画像: 左:ミズノ「300S」(1999年発売)、右:ツアーステージ「X500」(2000年発売)

左:ミズノ「300S」(1999年発売)、右:ツアーステージ「X500」(2000年発売)

だが99年、ミズノの天才少年たちが一挙に開花。米山はプロ13年目にして初優勝。この年実に4勝。プロ7年目の手嶋も初優勝。ここ4年優勝がなかった川岸も久々に勝利を挙げる。米山と手嶋に初優勝をもたらし、川岸の久々の優勝に貢献した1本のドライバー。開幕当初から「ミズノの選手が飛ばしているぞ」と話題になっていた。

1999年 三菱自動車トーナメントで初勝利した米山剛プロ

彼らが手にしていたのは、ミズノプロ300Sのプロトタイプだった。

この当時、プロのドライバーは完全にチタンヘッドに変わっていたものの、ヘッド体積は250ccが平均数値。300Sは一挙に300ccまで大型化した。大型ヘッド最大のメリットは慣性モーメントを大きくして方向安定性を向上すること。だが、当時のプロモデルとしては、思い切った大きさで、違和感を覚えるプロも少なくなかった。「デカすぎる!」と。

ところが慣性モーメントが大きくなってミート率が上がったためか、飛距離も大きな話題となった。ミズノの選手たちは前年よりも10~20ヤードも伸ばしていた。

ツアーの人気も手伝って、300Sが市場で繁盛を呈していた秋口、ブリヂストン勢が攻勢をかける。全日空オープンで細川が勝つと、その後、東海クラシック(横尾要)、日本オープン(尾崎直道)、ブリヂストンオープン(丸山茂樹)、そして日本シリーズで再び細川が勝利。

細川や丸山が手にしていたのは、ツアーステージX500のプロトタイプ。前年に登場したツアーステージブランドの初代X100より35cc大きい285cc。こちらも飛距離が話題になり、伊沢に至っては前年比24ヤードも伸ばした。こうなると「デカすぎ!」などと言ってられず、プロモデルも300cc超時代に突入。

ツアーステージX500は中嶋常幸が長く使用したことでも知られる

明けて21世紀。300Sの人気が依然衰える気配を見せないなか、ブリヂストンの丸山はX500をエースに米ツアーに挑戦。それに合わせるかのように2月にはX500が市販され、同月ゼクシオもデビューする。ヘッド体積は305cc。新世紀初めはクラブが劇的に変わり始めた時でもあった。

文/近藤廣

(月刊ゴルフダイジェスト2015年1月号より抜粋)

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