なぜ300Sは飛ぶのか? メーカーは目の色を変えた
90年代、ミズノには中嶋常幸の他に、スターが多数いた。"元祖天才"の米山剛、"九州の神童"手嶋多一、"怪物"川岸良兼ら。川岸だけは勝ってはいたものの、期待に沿うものではなかった。
"天才少年"では、当時のブリヂストンも負けてはいなかった。丸山茂樹や伊沢利光、細川和彦がいた。プロ入り後の実績ではミズノ勢をリードしていたのだ。
だが99年、ミズノの天才少年たちが一挙に開花。米山はプロ13年目にして初優勝。この年実に4勝。プロ7年目の手嶋も初優勝。ここ4年優勝がなかった川岸も久々に勝利を挙げる。米山と手嶋に初優勝をもたらし、川岸の久々の優勝に貢献した1本のドライバー。開幕当初から「ミズノの選手が飛ばしているぞ」と話題になっていた。
彼らが手にしていたのは、ミズノプロ300Sのプロトタイプだった。
この当時、プロのドライバーは完全にチタンヘッドに変わっていたものの、ヘッド体積は250ccが平均数値。300Sは一挙に300ccまで大型化した。大型ヘッド最大のメリットは慣性モーメントを大きくして方向安定性を向上すること。だが、当時のプロモデルとしては、思い切った大きさで、違和感を覚えるプロも少なくなかった。「デカすぎる!」と。
ところが慣性モーメントが大きくなってミート率が上がったためか、飛距離も大きな話題となった。ミズノの選手たちは前年よりも10~20ヤードも伸ばしていた。
ツアーの人気も手伝って、300Sが市場で繁盛を呈していた秋口、ブリヂストン勢が攻勢をかける。全日空オープンで細川が勝つと、その後、東海クラシック(横尾要)、日本オープン(尾崎直道)、ブリヂストンオープン(丸山茂樹)、そして日本シリーズで再び細川が勝利。
細川や丸山が手にしていたのは、ツアーステージX500のプロトタイプ。前年に登場したツアーステージブランドの初代X100より35cc大きい285cc。こちらも飛距離が話題になり、伊沢に至っては前年比24ヤードも伸ばした。こうなると「デカすぎ!」などと言ってられず、プロモデルも300cc超時代に突入。
明けて21世紀。300Sの人気が依然衰える気配を見せないなか、ブリヂストンの丸山はX500をエースに米ツアーに挑戦。それに合わせるかのように2月にはX500が市販され、同月ゼクシオもデビューする。ヘッド体積は305cc。新世紀初めはクラブが劇的に変わり始めた時でもあった。
文/近藤廣
(月刊ゴルフダイジェスト2015年1月号より抜粋)