箱根カントリー倶楽部は、箱根仙石原の奥詰近くにあります。初め奥箱根カントリー倶楽部にしようという案が出たのを、設計の赤星四郎が「何も遠慮することはない、箱根カントリー倶楽部にしよう」と励ましたという記録が『三十周年史』に残っています。

箱根仙石原に最初にゴルフ場を造ろうと考えたのは意外や意外、宮内省でした。昭和3年(1928年)湖尻に、外国使節待遇のためゴルフ場を造ったらどうだという企画が立てられたらしいのですが、実現しなかったのです。

画像1: 【目指せゴルフの雑学王】仙石原に開けた別天地「箱根カントリー倶楽部」

そのうち昭和5年には、仙石ゴルフコースが先に生まれます。それから第2次大戦を挟んで20数年、昭和27年頃になって、仙石原の大部分を所有する渋沢系箱根温泉供給株式会社を中心に、パブリック18ホール、メンバーシップ18ホール、乗馬、スイミングなどアナザースポーツ施設、ホテルまで網羅した大規模リゾートが計画されます。

画像2: 【目指せゴルフの雑学王】仙石原に開けた別天地「箱根カントリー倶楽部」

まず、国立公園内での事業認可を受けるために奥箱根興業㈱を設立。社長に後に日高CCを創立する高橋修一が就任しています。父・修一に同行することが多かった高橋正孝は、当時の仙石原は湿原だったと語っています。仙石原は1000メートル級の火山群に囲まれた標高650メートルのカルデラ火口原で、噴火で堰き止められた早川が芦ノ湖を生み、古仙石原湖を沼沢にし、湿原にし、最後に草原にしたのだそうです。

画像3: 【目指せゴルフの雑学王】仙石原に開けた別天地「箱根カントリー倶楽部」

その動きの中にある仙石原を見て、設計の赤星四郎は、「日本では、これ以後これ以上広大なゴルフ場適地は望めないだろう」と激賞しています。

2007年ゴルフダイジェスト社刊
田野辺薫「一度は回りたいニッポンの名コース」より

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