きっかけはルール違反の大ロフトパター
1983年にゴルフ業界に参入した横浜ゴム。ゴルフ用具作りのプロとなってアマチュアゴルファーの役に立ちたい、とブランドネームは「プロフェッショナルギア(PROFESSIONAL GEAR)」からとり、プロギア(PRGR)」と名付けた。
ゴルフブランドとしては後発だったが、どこよりも早くヘッドスピードと飛距離の相関関係に着目。当初から科学に基づくクラブ作りを続けてきた。
1988年には「タラコ」の愛称で知られるカーボンヘッドのロングアイアン・インテストLX-032が大ヒット。
1997年にはチタンとタングステンによる複合構造のドライビングアイアン・ZOOM iが登場。そして、2003年にはカーボンクラウンの先駆けとなるコンポジットドライバー・DUOを発売。ちょうどその頃のことだった。
100枚の資料より1本の試作
「いろいろなクラブをラウンドしながら試す、評価ラウンドが あったのですが、その時にプロダクトデザイナーが、ロフト角が20〜30度ついたルール違反(パターのロフト角は10度以下と決められている)のパターを持ってきたんです」
「その組は、本来の試打評価するべきクラブよりも、そのパターでアプローチなどをして盛り上がったんです。『これ面白いよね』となりますが、ネックの位置もクラブとしてはルール違反」
「その頃のプロギアには『100枚の資料よりも1本の試作』という言葉があって、それならルールに適したロフトのついたパターを試作をしよう、となりました」とは、R35ウェッジの生みの親、松浦芳久氏(以下同)。
「ロフト角は確か20、30、35度で、パターに近いものと、もう少し大きなものを試作しました。でも、当時はそれらを置いておく場所がないので、自分の机の周りに放置していたんです」
「ところが週末になるとスタッフから『今週、自分のゴルフだから貸して』と社内貸し出し依頼が殺到。2カ月くらいして、これだけ社内で使いたい人がいるのなら、マーケットとして成り立つのではとなり、もう少し本気で作りにいったのがこの形だったんです」
まずはルールに適合していることと、パターのようにストロークできることを念頭に、パターのような重さを実現するために重たいグリップを装着して試作を続けた。当時、チッパーというと3000〜4000円程度の安価なクラブという扱いをされていた。
そこでチッパーと呼ばせないため、そしてアプローチするときに恥ずかしくないように、見た目をカッコよく作ろうとこだわったという。ステンレス削り出しのヘッドを黒く仕上げて、しっかりしたクラブ感、武器感を演出。
R35のRはランニングアプローチの頭文字
「名前は結構悩みました。『アシスト』『ランナー』などの名前も候補に上がりましたが、名前を考えれば考えるほど安っぽくなってしまう(笑)。そこで記号にしようと。
「R35のRは、ランニングアプローチの頭文字から取り、ランニングウェッジと呼びました。また、ロフトの頭文字は本来、英語ではLですが、お店で『ロフト35度』と言ってもらえたらわかりやすいかなと」
黒いヘッドに白い文字というシンプルで無骨なデザインだったが、最後の最後でグリーンの形を連想させる赤い丸が加えられ、少し柔らかい印象になった。
「ほぼ同時期に発売されたZOOM CXの発表会に、直径30メートルくらいの人工芝のグリーンを設置して実際に、R35ウェッジのキャリー1:ラン3の距離感を体験できるようにしたら、こっちが目立ちすぎて怒られたのを覚えています。でも、うちの営業マンは『プロギアらしい商品』だと喜んでいました」
そして、いざ発売されるや、わずか2週間で欠品。うれしい悲鳴を上げた。
「発売日が11月12日という芝のコンディションが難しい時期だったのが功を奏したのかもしれません。また、シニアでアプローチに悩んでいる人が多かったのでしょう」
「当時はまだ対面型の販売店が多く、そんなゴルファーの顔が見えていたんですね。キャリアのあるゴルファーほど悩みは多いですから」
ゴルフを始めたばかりの若い初心者や女性ではなく、アプローチに悩んでいる競技ゴルファーや、ゴルフ歴の長いベテランゴルファーをターゲットにしたことが17年にわたり4万5000人超のゴルファーに愛され続けてきた秘密なのだろう。
実は17年間で一度だけ手を加えている。2010年の溝規制のルール施行に伴い、適合溝になったのだ。それ以降のモデルには、よく見るとソールに小さく「♦♦」の刻印が入っている。
「他がやらないものを本気で作る。これがプロギアのブランド価値のベースを上げることだと思っています」
【アイアン・オブ・ザ・イヤー受賞】いい打感を求め、常識を疑う。フォーティーン“TB-5フォージド”名器誕生物語はこちら
※週刊ゴルフダイジェスト2023年4月11日号より