国内女子ツアーは20歳前後の優勝者が増えている。そんな新鋭も大半が父親の影響でゴルフを始め、情熱的なサポートを受けて今に至っている。ツアープロになるまでに多く出費を伴うが、さまざまな工夫と周囲の協力でそれらを乗り越えた親子たち。女子プロを目指した親子の物語を各日短期連載で紹介。初回は岩井明愛・千怜ツインズの両親だ。
画像: 小4のころの千怜(左)と明愛。ゴルフを始めたきっかけは、父に連れて行かれた練習場だった(写真提供/父・雄士さん)

小4のころの千怜(左)と明愛。ゴルフを始めたきっかけは、父に連れて行かれた練習場だった(写真提供/父・雄士さん)

岩井明愛・千怜姉妹がゴルフを始めたのは小1だった

今季、岩井姉妹の躍進が目覚ましい。姉・明愛が第7戦のKKT杯バンテリンレディスでツアー初優勝。昨季2勝の妹・千怜に続き、史上初の双子によるレギュラーツアーVを果たした。

千怜は富士フイルム・スタジオアリス女子オープン、フジサンケイレディスクラシックでの2位を含め、トップ5入りが3度。パナソニックオープンレディースを終えた段階での世界ランキング75位で、海外初メジャー戦となる全米女子オープン出場権を獲得した。

父・雄士さんによると、昨季までは「受かってもお金がないから」と、アマチュア時代も含めて全米女子オープン日本予選会に姉妹は出場しなかった。だが、昨季は前半戦に詰め込んだ主催者推薦の8試合を生かし、リランキングで後半戦の出場権を獲得。

千怜は2勝し、明愛も奮闘してともにシード選手となった。海外遠征の資金もできて、今年は同予選会にエントリー。千怜はそれを免除で本大会の出場権をつかみ、「うれしかった」と声を弾ませた。

姉妹がゴルフを始めたのは小1だった。雄士さんが、運動能力の高い姉妹を練習場に連れて行ったのがきっかけになった。元気いっぱいにクラブを振る2人に、雄士さんが「今度のクリスマス、サンタさんに何をお願いする?」と聞くと、「自分のゴルフクラブ!」と声をそろえた。

クリスマスの朝、枕元には小さなゴルフバッグが2つ(明愛はブルー、千怜はピンク)。大喜びの姉妹が、自宅(埼玉・川島町)から10キロ離れたリンクスゴルフクラブ(埼玉・毛呂山町)に通う日々が始まった。雄士さんは当時のことをこう述懐する。

「ありがたかったのは、この練習場のボール代が小学生は無料だったことです。それがなければ、通わせられませんでした」

「自分のゴルフ、飲みに行くこと、タバコなどを止めました」(父)

画像: 岩井姉妹は永井哲二コーチから指導を受け、昨季は妹の千怜が2勝、今季はバンテリンで姉の明愛(左)が初優勝し、史上初めて双子姉妹がツアー優勝の快挙を果たした(撮影/姉崎正)

岩井姉妹は永井哲二コーチから指導を受け、昨季は妹の千怜が2勝、今季はバンテリンで姉の明愛(左)が初優勝し、史上初めて双子姉妹がツアー優勝の快挙を果たした(撮影/姉崎正)

1つ目の運がここにあった。そして、数か月後には、同練習場勤務の永井哲二コーチから指導を受けられるようになり、2人はメキメキと腕を上げた。さらに2歳下の弟・光太も加わり、ゴルフと並行して陸上競技の練習をする毎日。公務員の雄士さんは小遣いが月2万円に減り、看護師の母・恵美子さんも懸命に働いた。

「自分のゴルフ、飲みに行くこと、タバコ、パチンコを止めました。でも、苦にはなりませんでした。子供たちと一緒にいる時間が楽しかったので」

子供たちの実力が上がると出費は増える。ゴルフ場でのプレー代、試合遠征費がかかるためだ。成長とともにクラブの買い替えも必要。それらを少しでも節約するため、雄士さんはジュニア大会で面識のない選手の親、関係者にあいさつし、「ためになる情報」を収集。姉妹が小6の秋、リンクスゴルフクラブでヨネックスの試打会が開催されていることを知ると、すぐに駆け付つけ、姉妹にショットを披露させた。

「それまでの競技成績もお見せして、モニター契約のお話をいただきました。それまで中古のクラブを買い替えていたので、ものすごく助かりました」

姉妹が中2になると、雄士さんは、中学生、高校生の有能なゴルファーを育成する「チームKGA(関東ゴルフ連盟)ジュニア」の存在を知った。埼玉県ゴルフ協会からの 推薦を受け、2人は参加した選考会に合格。翌年には光太も合格した。結果、自宅に程近い嵐山CCなど、関東ゴルフ連盟に加盟しているコースでの練習環境が整った。

「これも岩井家には大きかったです」(雄士さん)

コーチや練習場のオーナー、小学校の校長…、多くの協力を受けられた

画像: 岩井姉妹がお世話になっているリンクスゴルフクラブ(練習場)の"お祝いボード"(撮影/増田保雄)

岩井姉妹がお世話になっているリンクスゴルフクラブ(練習場)の"お祝いボード"(撮影/増田保雄)

姉妹が小1から始めていた陸上競技練習は継続。丈夫な下半身に加え、上半身を鍛えるべく、雄士さんはさらなる工夫をした。上り棒トレーニングだ。

「その頃、上半身をあまり鍛えていなかった明愛、千怜はドライバーショットが飛ばないほうでした。ただ、ジムに行かせるお金はない。思いついたのが上り棒のトレーニングでした。飛距離アップに大事なポイントは背筋だと確信していたからです」

トレーニングの場所は、子供たちが卒業した小学校。雄士さんが校長に掛け合い、無料で使えるようになった。「無料で使用」の協力は他にもあった。リンクスゴルフクラブのボール代は「中学生から有料」の規定だが、姉妹と光太の大きな可能性を感じていた永井コーチがオーナーに「小学生の時と同じ無料でお願いします」と掛け合い、それが実現していた。

進学した埼玉栄高の3年間。姉妹は数々の大会で優勝を飾った。21年6月には、新型コロナウイルス感染拡大で延期されていた20年度JLPGA最終プロテストを受験。不合格で浪人なら遠征、試合出場などで家計はさらに苦しくなっていたが、そろって一発合格を果たした。結果、22年シーズンを迎えるまでに多くのスポンサーが付き、岩井家はひとまず、「お金の悩み」から解放された。

決して裕福ではない一般家庭で2人を同時にプロにした岩井家の歩み。「お金の悩み」が付きまとうジュニアゴルファーを持つ家族には、これからプロを目指す際の指針になることだろう。

(岩井姉妹・後編へ続く)

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