全米オープン優勝のウィンダム・クラーク。ツアーでの初優勝は先月5月のウェルズファーゴ選手権。ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロがウィンダム・クラークについて語ってくれた。
画像: 全米オープン優勝のウィンダム・クラーク。「オーソドックスなスウィングのフェードヒッター。ただしスタッツを見ると"パット上手"なのもわかります」by佐藤信人(Photo/Blue Sky Photos)

全米オープン優勝のウィンダム・クラーク。「オーソドックスなスウィングのフェードヒッター。ただしスタッツを見ると"パット上手"なのもわかります」by佐藤信人(Photo/Blue Sky Photos)

地元コロラドの新聞が「天才少年現る!!」と紹介

5月のウェルズファーゴ選手権で、プロ5年目、出場134試合目にして初優勝を飾ったのがウィンダム・クラークです。優勝を決めた瞬間のキャディとの長い抱擁が、勝利にたどり着くまでの苦労を雄弁に物語っていました。

コロラド出身の29歳。3歳のときに母のリサさんに連れられ練習場に行ったのがゴルフとの出合いでした。そのとき、隣で打っているオジさんが「ゴルフはどのくらいやっているの?」と尋ねると、母は「20〜30分前からです」。するとオジさんは「今のスウィングのまま頑張りなさい」と答えたそうです。6歳になるとホールインワンを達成し、地元のコロラドの新聞では「天才少年現る!!」と大きく報道されました。

破竹の勢いは高校生になっても衰えず、高校では11勝、コロラド州のチャンピオンにも2度輝きました。その実績で名門、オクラホマ州立大に進学。1年でオールアメリカンにも選出されました。

しかし彼が大学1年のとき、母のリサさんが乳がんで亡くなります。闘病の末、55歳の若さでした。超お母さん子のクラーク、ときに慰め、ときに元気づけてくれる自分だけのチアリーダーを失ったクラークは、ここから自分のゴルフを見失います。

2年、3年と絶不調に見舞われると、4年次にはオレゴン大へと転校。その理由を「母の死と自分が"
お母さん子"であることを誰も知らない世界に身を置きたかった」と答えています。

「PLAY BIG!」が母から息子へのメッセージ

さて、4年になるとクラークは本来のゴルフを取り戻し、アーロン・ワイズの穴を埋める形で、2年連続でオレゴン大を決勝に進出させました。自身もオールアメリカンに復活、それを支えたのが今はクラークのキャディとなった、当時の同大のアシスタントコーチでした。母の死を乗り越え、また初優勝までの5年の歩みのすべてを知っているからこその長い抱擁だったのです。

試合では始終会話し、またウェッジ1本を持ったキャディが選手以上に素振りする姿を見かけますが、それも2人の信頼関係の表れなのでしょう。

昨季のドライビングディスタンスは4位(今年は7位=6月11日現在)で、昨年のZOZO選手権で来日した際、僕はわざわざスウィング動画を撮りに行ったくらいです(笑)。

彼のインスタグラムを覗くと、母の誕生日や命日、母の日など、折に触れて母親に関する投稿を見かけます。優勝後、月曜日には母への感謝の長文が綴られていました。最後のほうには「3歳のとき、練習場に連れて行ってくれてありがとう」の言葉が。

生前、母は、クラークの小中学校時代はノートに付箋を挟み、高校・大学時代はショートメールを送ってくれたそうです。そこによく書かれていた言葉が「PLAY BIG!」。「堂々と」あるいは「胸を張って」と訳せるでしょうか。解釈は人それぞれでしょうが、若い頃に乳がんを患い長く闘病した母の人生観であり、最愛の息子への心からのメッセージであることは間違いありません。

※週刊ゴルフダイジェスト2023年7月4日号「うの目 たかの目 さとうの目」より

This article is a sponsored article by
''.