日本ゴルフ界の揺籃(ようらん)期をリードした赤星四郎、六郎の業績を称え、彼らを偲ぶ会が先日、相模CCで行われた。
画像: 左から赤星六郎氏と四郎氏

左から赤星六郎氏と四郎氏

2010年に「四・六会」を発足して、今年で11回目

会名は「赤星四郎・六郎会」(通称「四・六会」)、今回で11回目を数えた。同会が発足したのは2010年、その契機となったのは2冊の出版物だった。

1冊は08年、富士CC50周年を迎えるにあたり、会員に設計者である赤星四郎を知ってもらおうと会報誌の特別号を発行したこと。

もう1冊は09年、我孫子GC75周年記念に際し、設計者である赤星六郎を紹介するために収集した資料をまとめ、「赤星六郎アーカイブ」を発行したことだ。

この2冊に啓示を受け、同会の発足を呼びかけたのは、当時JGAゴルフミュージアム参与であった故藤岡三樹臣氏と、週刊ゴルフダイジェスト編集長だった故T・Nだった。

それに呼応したのが我孫子GC理事長・富田浩安氏同財務理事・久米融氏、富士CC取締役理事の加藤純氏だった。

同会の趣旨を赤星四郎氏の次女、隅田光子さんに提案し、了承を得た。

赤星兄弟の設計コース(設計・監修は日本、台湾、朝鮮、中国、満州、閉鎖されたものも含めて37コース)に呼びかけ、参加倶楽部は我孫子GC、相模CC、箱根CC、富士CC、芥屋GC、あつまる阿蘇赤水GCの6コースに決定。

第1回は我孫子GCで開催され、富田氏が会長、加藤氏が事務局長、久米氏が監事、隅田さんが名誉会長に推薦され、会則も決定している。参加は23名。2回目以降は我孫子をはじめ、箱根、相模、富士の持ち回りで19年まで続いた。

20年から新型コロナ禍のため3年間中止となり、今年4年ぶりに開催されたというわけだ。

兄弟2人の略歴を記しておこう。

赤星四郎(1895~1971)。高校から米国留学し、ペンシルベニア大学時代はアメフトの選手として活躍。帰国後の21年から本格的にゴルフに取り組み、5年後には日本アマ制覇。設計したコースは函館GC湯の川Gや箱根CCなど格調高い傑作揃い。

赤星六郎(1898~1944)。高校、大学と米国留学。24年にパインハーストでの大会で優勝した後に帰国、JGAの創設に四郎と共に奔走。27年第1回日本オープンで優勝。草創期のプロたちを指導し、日本プロ隆盛の礎を築く。設計は我孫子、相模と、今日なお日本のベストコースにランクインしている。

なお、前述した四郎の次女、隅田光子さんの「父・赤星四郎の覚え書きノート」をまとめた『赤星家のゴルフDNA』が小社「Choice 選書」より発刊される。ご一読乞う。(定価:本体1800円+税)

※週刊ゴルフダイジェスト2023年7月25日号「バック9」より

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